全国的にも数例しかない双方中円墳です。
堀の中に遺跡があるようですが、一般の人は立ち入りできないようです。
崇神天皇陵のすぐ近くです。
古墳に登れます。
双方中円墳です。
由来などは他の方の書き込みが詳しいので書くのをやめておきますが、アクセスが分かりにくいので説明を書いておきます。
グーグルマップで北別所公民館から進んで行き止まりになっている道が北側にありますが、公民館を越えてすぐの S字直後に表示されていない右分岐(「山の辺の道」の看板あり)があります。
こちらに進むと、写真のところに左下側から進んできます。
また、崇仁天皇陵の参拝所から陵墓外周を時計回りに回ってきた場合も、この場所に着き、この場合は写真の右下から到着します。
いずれにせよここに来たら、左前方の石畳の方に進むと、左側に櫛山古墳の看板を発見できます。
また、崇仁天皇陵南側の細い道を登ってきた場合、 トイレの手前で行き止まりになっているようにグーグルマップでは表示されています。
この道は続くのですが、行き止まりが表示されている直前の、 陵墓の南端の辺りで左向きに階段を上るような分岐があります。
こちらを進むと、右側に櫛山古墳の看板を見つけることができます。
古墳の墳丘を歩くことができます。
身近に古代王朝を感じてください。
全国的にも数例しかない双方中円墳です。
岡山県倉敷市の楯築墳丘墓や香川県高松市の石清尾山古墳群など瀬戸内地域(吉備)にみられる古墳で大和王権のシンボル的な前方後円墳よりも以前に造られ始めたタイプの古墳です。
この古墳は弥生時代後期とされる楯築墳丘墓よりは100年程新しい古墳時代前期後半と柳本古墳群の中でも新しい古墳なのですが双方中円墳が採用されています。
大和王権にあって吉備出身者此処に眠るとでも表しているかのようです。
2019.12 小学校の遠足で一部を歩いた山辺の道。
全行程16Kmを、いつかのんびり歩いてみたい…
行燈山古墳(伝崇神天皇陵)の同丘陵の東に築かれた古墳、後円部の背後に突出した部分を設けた、双方中円の珍しい形をしている。
突出した部分ははっきり見てとれます。
平成30年10月16日来訪。
直に古墳の中に入れる場所は、多くありません。
特に何もありませんが、風情はあります。
山の辺の道沿いにある古墳です。
2017.08.13. (日) 16:20 初来訪 (奈良斑鳩人)櫛山古墳(クシヤマコフン)は4世紀に築造され 全長152mの 双方中円墳です古墳の 竪穴式石室には 長持形石棺が確認され 副葬品には 碧玉製腕飾類片が有ります(碧玉とは 青色や緑色の玉のコト)櫛山古墳には 西に隣接する行燈山古墳の南に有る道路を奥に進み 突き当たりがT字路で ハイキング道に出ます コノ辺り迄は車でも来れます櫛山古墳へは ハイキング道を 左に進むと大きな池の様な壕の先に 古墳が有ります古墳の姿が見れるのは コノ道沿いだけです古墳に隣接する道路は 古墳の西側に有るコノ道のみで 北と南には道が有りますが古墳とは遠く 東に至っては道が無くまるでジャングルですでも このハイキング道は 濠越の美しい景色を楽しむ事が出来 私が訪れた時も多くのハイカーと出会いましたココは 静かで綺麗なトコロです❗
全長約155mの双方中円墳、築造時期は4世紀前半。
崇神天皇陵のすぐ東側の山手に造られている。
サバイバルゲーム禁止の張り紙が多数。
墳丘上に登れるがちょうどいい感じの森と傾斜があるせいだろうか。
全長約155mの双方中円墳、築造時期は4世紀前半と推定。
崇神天皇陵(行燈山古墳)のすぐ東側に造られている。
崇神天皇陵(行燈山古墳)埋葬者との関係は如何に?で、なぜこの時代、この場所に双方中円墳(全国で4例ほど)なの?
古墳の上を歩けます。
古墳の上に登ることができます。
登ると広いですが、何もありません。
双方中円墳という全国的にも珍しい古墳。
名前 |
櫛山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.tenri.nara.jp/miryoku/tenrinomiryoku1/kofun/1407110090100.html |
評価 |
3.9 |
遠くに二上山が見渡せる景観の良いところです♪