成務天皇陵道すがら四つ葉のクローバーを見付けました...
町中と言うか町の直ぐ横に大きな森の小山があらわれた。
ここから古墳群がずらり、そこから歩き初めて古墳の堀が大きい物も。
道から古墳迄遠い。
かなり大きな前方後円墳です。
全長は219メートル、周りには陪塚も数基あります。
まれにみる古墳の密集エリア。
気持ち良く歩けます。
古墳で歴史の事に触れないのは如何がなものか?と思うのですが、お掘りを見ていたら🐢さんがワラワラ寄ってきてビックリ。
被葬者:第13代・成務天皇実際の被葬者は明らかにされていませんが、第13代・成務天皇の陵と伝えられています。
築造は4世紀末頃と推定されています。
拝:2020/06/25
天皇陵がこれだけ近くに隣接しているのが凄いなぁ~!3,4世紀頃活躍した方々だから1600年以上前の事。
その墓の傍らを気軽に歩ける事も不思議な感覚です。
第13代 成務天皇の陵。
かつては神功皇后陵とされていたらしい。
大規模な古墳で、ぐるっと一周できるので散歩にもピッタリです。
2020.02.04訪問「佐紀盾列古墳群」の一部を成す大規模な古墳です。
全長は218メートルと、佐紀盾列古墳群の中では特別大きなものではありませんが全国26番目の規模を誇ります。
その築造は4世紀後半と言われ、宮内庁によって成務天皇陵(狭城盾列池後陵「さきのたたなみのいけじりのみささぎ」)として定められています。
成務天皇陵は歴史記録に乏しい天皇であり実在われ、宮内庁によって成務天皇陵(狭城盾列池後陵「さきのたたなみのいけじりのみささぎ」)として定められています。
成務天皇陵は歴史記録に乏しい天皇です。
訪問時に拝礼所が工事中でした。
第13代成務天皇は日本書紀などの記述も少なく実在も疑問視する見方もあるとはいえ、御陵の正面は庭園の様でビックリした。
佐紀楯列古墳群の御陵の間の道を通りながら、配置を頭に浮かべ想像しながら散策するも、これだけ密集していると案内表示板を見て納得。
よく巨大古墳を集中して造ったもんだ。
第13代(生没 84年~190年 107歳 在位 60年間)。
実在性が疑われている天皇。
巨大古墳が密集している間の細い遊歩道を歩くのがいい。
墳丘長218mの前方後円墳、築造時期は4世紀末頃と推定。
佐紀盾列古墳群を構成する古墳のひとつ。
宮内庁により第13代成務天皇の陵に治定されている。
実際の埋葬者は不明。
第13代天皇。
孝謙天皇陵からは隣り合うようにすぐ北隣になる。
孝謙天皇陵前の交差点脇にある小樽食堂横すぐ右側に参道がある。
民家の脇を抜けるとすぐに廟所となる。
かなり立派な周濠を持つ巨大な前方後円墳だ。
古事記序文でその治績が讃えられた5名の天皇のうちの一人です。
奈良以外の地(近江)で初めて宮を築いた天皇で、有名な倭建命とは異母兄弟、次代の仲哀天皇は倭建命の息子です。
古事記本文での記述は非常に短く、序文で取り上げられているのが不思議な謎めいたそんざいです。
第13代成務天皇。
父は第12代景行天皇、母は八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)。
全国の国造を任命したとされていますが、謎の多い天皇です。
第13代天皇、成務天皇。
ここも頻繁に盗掘され剣、玉、勾玉など全ての副葬品は失われた。
しかし盗掘者には厳しい罰が待っていた。
1063年は流刑16名。
1844年、1848年にも盗掘被害に遭う。
首謀者の4名は、塩漬け後、奈良町引き回しの上、磔に処せられる。
巨大古墳なので皆、多人数での犯行だ。
今は、盗掘されていない天皇陵は、悲しいかなほとんどない。
唯一の確認方法は宮内庁が石室調査を直接実施するか否かだ。
今は、何も知らず、成務天皇陵の直ぐ横に祖母、日葉酢媛命陵が寄り添う形で静かに眠っている。
名前 |
佐紀石塚山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
成務天皇陵道すがら四つ葉のクローバーを見付けましたよ~あれから3ヶ月すっかり良い栞が出来ました。