若草中学校の敷地内です。
多聞城跡(多聞山城跡) / / .
中学校の近くだと思っていたら、中学校の中でびっくりしました。
不審者がられないかそわそわしながら、写真撮影。
他の人の口コミによると、中に入ってもよかったみたい!築城してから20年も経たずに破却されたそうですが、城跡っぽい中学校で歴史を重んじてるのが素敵でした。
多聞城跡は今は中学校になっているので住宅街にしっかり溶け込んでいますね。
なら町の反対側にあるので、どちらかというと人が少なく静かな佇まいです。
車で探訪。
道が狭く注意が必要。
学校の校門内に石碑があるので校門が閉まっている場合は入れない可能性あり。
校門横には敷地から見つかった石仏や五輪塔をまとめて祀ってあります。
戦国時代の梟雄である松永久秀の居城跡です。
西側に東大寺を建立した45代聖武天皇と光明皇后の御陵が存在します。
尚、現在は奈良市立若草中学校が存在します。
佐保川にかかる若草橋から目の前にこんもりした小山が見える。
多聞山城址(若草中学校)である。
宣教師ルイス・デ・アルメイダの書簡に「此の別荘地に入りて街路を歩行すれば其の清潔にして白きこと、恰も当日落城せしものゝ如く、天国に入りたるの感あり。
外より此城を見れば甚だ心地好く、世界の大部分に此の如き美麗なる物ありと思はれず。
入りて其宮殿を見るに人の造りたる物とは思はれず、之に付記述せんには紙二帖を要すべし。
」と過大評価とも思える記述がある。
どれだけこの城は美しかったのだろうか。
織田信長がこの城で配下に蘭奢待を鑑賞させ、誇示したのは1574年3月のことだ。
しかし1576年には早くも多聞山城の破却、解体が始まった。
今、本丸跡にある若草中学校にはその痕跡はほとんどない。
わずかな土塁はあるが、見るべき価値があるのは空堀、堀切くらいだろう。
今や多聞山城は幻の城、想像だけの城だ。
信長は本当に惜しい城を破壊してしまった。
若草中学校の敷地内です。
門が開いていれば入っても良いそうですが、中学校の関係者に出会ったら、観光客である旨お伝えするようにと言われました。
東大寺の裏手の坂の上なので、普段とは違った奈良の風景が見られます。
裏側から見下ろす東大寺、なかなか貴重じゃないですか?笑この石碑付近に遺構はほとんどありません。
坂の麓の若草公民館には資料が置いてあり、職員さんが軽く説明して下さいました。
現 若草中学校=多聞山城跡。
中学校の門に説明板が、中に城跡碑がある。
学校なんで勿論中には入れない。
横の天皇陵と合わせて城跡のようだが詳細はわからず。
近くの若草公民館で多聞山城跡の資料がもらえるらしいよ。
小生は早朝訪問で開いてなかったから未入手。
謎の城跡、といえよう。
多聞山城(たもんやまじょう)は、奈良県奈良市法蓮町の現・奈良市立若草中学校の敷地にあった松永久秀、松永久通、塙直政の居城となった日本の城(平山城)。
多聞城とも呼ばれる。
松永久秀によって、眉間寺山と呼ばれていた標高115メートル、比高30メートルの山に築城された。
城には多聞天を祀り多聞山城と呼ばれ、現在でも城跡の山は多聞山と呼ばれている。
東に奈良への入り口である奈良坂を、更に南東に東大寺、南に興福寺をそれぞれ眼下に見る要地に位置し、大和支配の拠点となった。
今は若草中学への入り口の石段に通じる長い道が転害門への194号線を左へ入ると若草公民館、若草橋を経て中学校の入り口に。
石段の上り口辺りに石仏や五輪塔が集められ金網で囲まれている。
名前 |
多聞城跡(多聞山城跡) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0742-26-3273 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/naranoshiro/tamonjo/ |
評価 |
3.4 |
2021年5月撮影。
戦国の武将、松永久秀で有名な城跡。
確かにここに来てみると、奈良盆地の様子がよく見渡せて、城にするには最適な場所。
明治時代まで、日本人は日本の文化遺産に関心がなかったので、重要な城跡にも関わらず、現在はそのまま中学校になってます。
もしここに中学校がなかったら、そのまま城を復元させて観光名所にしていたことでしょう。
時代によって、関心事は異なるわけで、そう意味でも、なかなか興味深い場所だと思います。