5世紀後半に築造された、元は一辺45メートル、高さ9.4メートルであった方墳です。
調査で、かつては周壕があり、濠から多種の形象埴輪が出土したそうです。
誉田白鳥埴輪製作遺跡の対面の西行きの筋の道なりにあり、案内板も古墳東側にあります。
住宅に囲まれていて、檻に閉じ込められているような窮屈感…でも、開発されず、現代に残ってくれていることに感謝。
墳丘には立入りはできないです。
ここも応神陵の陪冢かぁ…墓山古墳の陪冢やないのかぁ。
一軒家の、囲まれた中に、たたづむ西馬塚古墳です。
何か異様に土が、盛り上がり中えは、柵で入ることが、できませんので、全体の姿が、わかりません?。
残念です。
どなたかの皇族なんでしょうか?知りたいデスネ~(*_*)
古墳時代 5世紀後半につくられた方墳 倍塚です。
方墳で応神天皇陵の陪塚であるこの古墳は住宅街の一角にあり存在感を一際強く放っていました。
墓山古墳の東にある羽曳野市役所から南下して住宅街に入ってすぐのところにあります。
埴輪や、須恵器が出土したとか・・・。
近くに埴輪製作遺跡があるので、昔の人は、そこで埴輪をつくってせっせと頑張って運んだのかな。
なんだか、当時の情景が浮かんできます。
名前 |
西馬塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
5世紀後半。
方墳。
墓山古墳の陪塚??『自分の馬と交換してもらった馬が翌日、埴輪の馬になっていた』という言い伝えがある。
(古事記説と古事記違うという説がある)