元日の午前0時過ぎに参拝しています。
樟本神社(南木の本) / / / .
延喜式神名帳に「楠本神社 三座 河内国志紀郡鎮座」とある一社。
創建時期は不詳だが、古墳時代以前、木霊を祀ったことに始まると見られている。
このあたりは物部氏の本拠地で、その後、守護神として崇められていた布都大神を祀ったお宮さんとなった。
もともと、木の本に三社鎮座していたものが、分村により分祀されたという。
境内には大きな樟があり、八尾市の保全樹に指定されている。
21/02/08、物部氏の遺物を巡る道でお詣りした。
ここも神職のかたは居られなかったが、綺麗にされており、地元で大事にされている印象だった。
大聖勝軍寺で地元の方と言葉を交わしたとき、守屋さんと言い方をされていた。
1400年の時を越えてなお、親しみがあるということだろう。
元日の午前0時過ぎに参拝しています。
南木の本は甘酒と豚汁の振舞いがあり木の本はこんにゃくの厄除の振舞いがあります。
巫女さんもいて手水も無いような小さな神社にしては活気があります。
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」八尾市この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神をまつったものである。
北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。
守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝える。
境内には黄檗宗日羅寺がある。
薬師如来を本尊とする。
日羅は百済へ渡り重く用いられた。
敏達天皇は任那滅亡後、日羅を呼びもどし、百済の政情をたずねたところ、「兵事よりも、百姓保護に努め、国力を充実して、百済を討つべし」と説いた。
このため同行して来朝していた百済使臣のために暗殺された。
厨子は、延宝八年(一六八〇)平野の豪族末吉勘兵衛利長の寄進によるという。
所在地 :大阪府八尾市南木の本7丁目33アクセス:地下鉄「八尾南」駅から徒歩約17分/近鉄バス「南木の本」から2分。
【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」八尾市この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神をまつったものである。
北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。
守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝える。
境内には黄檗宗日羅寺がある。
薬師如来を本尊とする。
日羅は百済へ渡り重く用いられた。
敏達天皇は任那滅亡後、日羅を呼びもどし、百済の政情をたずねたところ、「兵事よりも、百姓保護に努め、国力を充実して、百済を討つべし」と説いた。
このため同行して来朝していた百済使臣のために暗殺された。
厨子は、延宝八年(一六八〇)平野の豪族末吉勘兵衛利長の寄進によるという。
所在地 :大阪府八尾市南木の本7丁目33アクセス:地下鉄「八尾南」駅から徒歩約17分/近鉄バス「南木の本」から2分。
名前 |
樟本神社(南木の本) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-921-7953 |
住所 |
|
関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/yao-city/t100.html |
評価 |
4.1 |
祭神は布都大神、社格は式内社、当地付近を拠点とした物部守屋が稲村城の守護神として布都大神を祀つた、物部守屋は「稲城」を造つたと有り又守屋は衣摺の朴の木に昇って雨の如く矢を射たと記されている、拝殿前に「日羅寺」という黄檗宗の寺院のお堂が西向きに建てられている、本堂は薬師如来、日羅は6世紀頃に百済の王に仕えた日本人。