真田幸村が撤退途中に休憩した場所です。
谷町線長原駅徒歩圏内、志紀長吉神社鳥居から真っ直ぐ100mぐらいのところの民家の間に碑が建立されています。
大阪夏の陣で伊達軍と一戦を交え、大阪城に帰還途中に休息された様です。
すぐ近くに志紀長吉神社があり、太刀と軍旗を奉納され必勝祈願をされました。
伊達正宗公といえば、ご自身の亡きあとの、ご息女で後に伊達家重臣片倉重長公の継室となられた阿梅さまを託された方で、この戦でご息女を託すにたる人物と決断されたのかは解りませんが、浅からぬ縁を感じます。
是非、志紀長吉神社とあわせて訪ねてみて下さい。
住宅地の少し凹んだ場所にあります。
真田幸村が大坂夏の陣のおり南河内誉田方面において東軍伊達政宗軍と一戦を交えた後、古市街道を経て大坂城へ帰城途中この地にて休息し志紀長吉神社へ戦勝の祈願すると共に軍刀一振りと六紋銭の軍旗を奉納したとされてます。
真田幸村がここで休憩したのは1615年5月6日夕刻。
道明寺の戦いの後、大坂城への帰還途中だった。
徳川軍に一撃は入れていたので追撃はなかった。
この時、幸村は翌日の戦さに思いを巡らせていただろう。
雲霞のような敵の大群に、小手先の戦略戦術は通じるだろうか?しかし何があっても最後まで戦おう。
それしかなかった。
翌5月7日、幸村は最後の突撃を敢行し戦死する。
この休憩所で一服した幸村の顔はきっと穏やかであったろう。
通りから少し入らなければならないので、見付けるのに一苦労。
でも、歴史を感じますね。
ここで休んだあと、どこを通って、安井天神にたどり着いたのか。
ふと、考えてしまいました。
名前 |
真田幸村 休憩所跡 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-4302-9683 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
この辺り、真田幸村の活躍の跡が何ヵ所か在ります。