もう何年くらい前になるでしょうか?
老母のリハビリ転院先(地域包括ケア病棟)の候補でした。
若いソーシャルワーカーの接遇レベルが、傾聴意識のない事務的で冷淡な印象を受けたのと(相性の問題もあるとは思いますけど?)、11月1日現在もコロナ一律面会禁止というのでお願いしないこととしました。
整形外科が土曜日で休みでしたが内科の先生が親切に見て頂きました。
もう何年くらい前になるでしょうか?私の父親はここで94歳の生涯を終えましたが、2006年に自宅の玄関の上がり小間地で転倒、多少出血はしていましたが用心のため救急搬送してもらい救急病院へ入院。
病名は急性硬膜外血腫、入院三日目に激しい痙攣を起こし言葉を失い、食物が喉を通る際の感覚すら失ってしまいました。
前日まで食事時に介助をしてくれる看護師さんに散々悪態をつくいつもの超悪ジジイが… 子供に絶対ゴメンって言わない、あの頑固親父が言葉を話せなくなった… 私のショックは想像以上で… それからしばらくして回復の見込みのない患者は介護型病棟に移らなければならないことをケアマネから言われ、訳の分からないまま、ある病院へ転院しましたが症状が良くなるどころか、転院前はあれほど安定した状態だったのが肺炎を頻発するようになり日に日に衰弱していく親父を見て、必死に次の病院を探しましたが、ココは当時から人気が高く親父の転院の際、順番待ちが1ヶ月以上と言われ断念した病院でした。
もうココしかない… すがるような思いでココのケアマネに相談し、空きが出るまで2ヶ月くらいかかったでしょうか、ようやく空きが出て、それまで入院していた病院を逃げるように連れ出しココへやっとたどり着きました。
ココは看護師のレベルが高く、あれだけ衰弱していた親父が見違えるように元気になり、確か下の名前はミエさんっだったと思いますが、頑固親父のお気に入りの看護師さんで親父の最後も私のそばで手を握って看取ってくれました。
最後まで頑張った頑固親父にとって若いお気に入りの看護師さんに看取ってもらい幸せな生涯だったと今でも感謝しております。
なにより 「命の尊厳」を大事にしており、「医は仁術」みたいな病院があるんだっ!って思ったのを今でも覚えています。
ありがとうございました。
その節は大変お世話になりました。
運転の荒い従業員営業用のミラ原付強引に追い越し信号無視のおばはんこんな病院行きたくない。
健康診断で初めて行ったけど、医師に偉そうに言われた。
普通に言われへんのかなぁ。
名前 |
青山第二病院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0721-65-0003 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.aoyama-med.gr.jp/medical-rapport/aoyama-hospital2/ |
評価 |
2.5 |
今から、30年ほど前、寒い2月2、自転車で坂から、足が絡まり、思い切り、転倒、顎複雑骨折、なんとも惨めな私の顎を見事に、手術し、直してくださいました。
石田Dr.素晴らしかったです!お元気でしょうか?口外科です。