地元では見かけない形の珍しい古墳でした。
真田古墳(真田の抜け穴伝説) / / / .
真田幸村が近くに隠棲していたことから、真田の抜け穴と言われていたようですが、実際には古墳の石室だそうです。
紀ノ川流域の高台に古代から人が住んでいたことがわかる遺跡です。
真田氏が大坂の陣に参陣するために作ったと地元の人々に伝承として伝わった穴です。
調査の結果、古墳時代のもので横穴式石室をもつ古墳とのことだったようです。
真田氏とは関係のないものでしたが、縁の地ということで真田古墳と名付けられたようです。
真田古墳の抜け穴、実は横穴式古墳だったりして(笑)。
けど元々根来衆を引き連れて九度山から大阪城に入った真田幸村。
忍者として色々な仕掛けは住まいの九度山にもしてたでしょうね。
ロマンです。
真田抜け穴古墳前の真田紐屋のオバサンが優しくて製作実演もあって素敵でした。
九度山に抜け穴があったかはともかく、そのぐらいしないと、大阪城までたどり着くことが難しく、当時の幸村が徳川にいかに警戒されていたのかを物語ります。
真田幸村が閉居していた真田庵を見に行き、真田ミュージアムに向かい、標識で真田古墳があることを知り徒歩で約3分。
道端に現れます。
特に駐車場もなく道が細いので徒歩をおすすめします。
穴は穴ですが石室のようになっているようですが、見えませんでした。
真田庵から少し離れた所にある古墳。
新しめの柵に囲われている。
実際は四世紀ごろに建てられた古墳だが、古くから「真田の抜け穴」と呼ばれて真田幸村が大阪城に入場した時にココから抜けていった伝説がある。
見てみると思っていたよりも規模が小さいので、物足りなさを感じてしまう・・・。
2016年11月26日 初訪問。
名前 |
真田古墳(真田の抜け穴伝説) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
本来は6世紀頃の古墳跡だそうです。
真田幸村公が大阪城入場のおりに、真田庵からの抜け穴でこちらに脱出して、徳川の監視の目をかいくぐった伝説があるそうです。
真田庵からは徒歩5分位の場所にありました。