2019.7.28に参拝しました。
主祭神:誉牟田別尊,帯仲比古尊,息長足姫尊,丹生津比売命,蛭子命,菅原道真公配祀神:天照皇大神,国狹槌命,天太玉命,天児屋根命,武甕槌命,須佐男命,八衡比古命,八衡比売命,大山祇命,大己貴命,上筒男命,中筒男命,底筒男命,天牟良雲命,宇迦之御魂神,幡姫命,経津主命,高野御子大神境内社:龍王神社,正一位安高稲荷大明神『紀伊国名所図会』によると、紀伊ノ国紀北御開拓の祖神、丹生津比売大神が降臨した地であり古来より産土神として奉斎されてきた。
神功皇后が遠征後、筑紫より顗旋途中に應神山に御幸し、神社に奉斎される神々に筑紫の蚊田(現・福岡県糟屋郡宇見町)で授けられた我が子誉牟田別命(後の第十五代応神天皇)の誕生を奉告。
約3ヶ月もの間、應神山に駐輦した(應神山と称したのは後の事でこの由来による)故により、その縁をもって誉牟田別命(第十五代応神天皇)を神社の主祭神として勧請し奉斎している。
『紀伊続風土記』によると、古来社殿は荘厳だったようだが、戦国時代、明神の森の東の端に高野山宝護院の出城(東西30間(約54メートル)、南北20間(約36メートル))があった。
織田信長の紀州攻めに対抗するために築城し、背山城と共に東西の双翼を担った。
後の戦い(信長か秀吉かは不明)で落城した際に神社も戦火に巻き込まれて焼失。
社殿と共に神宝や社記等も失った。
後に再建されるが、焼失前の勢いは無く堂塔の礎石だけが残っていたと云う。
また、大鳥居の御額に「八幡神社」と有るが、この額は慶安元年(1648年)年、紀州藩主徳川頼宣より奉納されたものである。
現在、秋の例祭に奉納される稚児の渡御式は、南北朝時代に吉野で朝廷を開いた後醍醐天皇が行幸した際に起こしたものであると云い、以来、約700年もの間、1度も中止されたことがないと云われている。
私の癒される場所🙏
2019.7.28に参拝しました。
氏子さん達がいろいろ作業をしていて、地元に大切にされている様子が窺えました。
おだやかなお正月です。
普段は閉まっている金剛清浄院も開帳しています。
青洲の里の南にあります。
青洲の里の芝生を抜けて坂道を登れば、学校の運動場横に抜けます。
神社はその隣です。
鳥居⛩をくぐると……笑ビックリします。
私の産土神です。
名前 |
名手八幡神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0736-75-2477 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=3001 |
評価 |
4.2 |
役員会でした。