境内に徳川家霊台を落成しました。
建物がとっても立派でした。
入口手前の紅葉も綺麗でした。
歴史のことは疎いので、拝観料がかかるという時点でやめておこうかと一瞬思ってしまいましたが、すごく良かったです。
これからも建物を綺麗に維持するための費用だと考えると安いと思いました。
かつて大徳院という徳川家と関係の深い大寺があり、今から約380年前の1643年、境内に徳川家霊台を落成しました。
建物のそこかしこに唐獅子やボタンといった彫刻や飾り金具など立派な装飾が施されています。
歴史上のビッグネームがずらっと並ぶ高野山にあって、少し離れた所にあります。
家光が建てたそうで、二つ並んだ建物はそっくりです。
右側が家康で左側が秀忠の霊台です。
高野山の他の建物に比べると小さな方だと思いますが、沢山彫刻してあって豪華です。
家康の方を出ようと門を見ると門の上の木(冠木?)に修復時の記録が小さな字でびっしり書いてあって興味深かったです。
拝観料200円でした。
私が訪れた時はほとんど独り占めでした。
朝の早い時間は誰も居ませんでした(´∀`)どこかさみしげな感じなトコロです。
ここに関しては、バリアフリー化はほぼ無理なんでしょうね〜^^;階段も少しですが急です。
足腰悪い方は降りる際十分注意です‼️
家康、高野山に立派な霊廟つくっちゃって。
奥の院にもお墓あるのに。
この霊廟は装飾が美しく、長男の霊廟と並んであります。
説明員のおじさんがいるので、分からないところは教えてくれます。
描かれている柄についていろいろ教えてもらったのに、もう忘れちゃった。
高野山にある徳川家の霊台です。
戦国武将のお墓は、一ノ橋から灯籠堂の近くまで点在しているのですが、こちらは金剛峯寺の裏手の波除不動の方で、金剛峯寺からも少し離れています。
(現在は金剛峯寺の所有らしいです)戦国武将が奥の院の近くに、お墓を置いているのは、弘法大師空海に対する信仰心によるものだと言われていますが、徳川家は例外のようです。
日光東照宮の雰囲気を持っている建物ですが、修復はしていない様です。
徳川初代将軍家康、二代秀忠を祀る霊廟、向かって右が家康廟、左が秀忠廟となってます、三代将軍家光によって建てられました華麗な装飾が施されたミニ東照宮というべき霊廟ですね、家康の廟だけ鳥居がありますが、受付の方に伺うと、これは家康が神として祀られているからなのだとか。
高野山名物 歩道乗り上げ駐車!女人堂へ向かう主要道です。
いつ行っても何者かが歩道に乗り上げて駐車しています。
歩道上は車体の一部だけても駐車したら違反ですよね。
橋本警察さん、歩いて散策している観光客が事故に遭う前に取り締まって下さいよ!
徳川三代将軍家光公が建立された父秀忠公と祖父家康公の御霊屋で東照宮と比べると。
ですが細部まで美しく細工された二つの建物が鎮座しています。
拝観料200円、御朱印は社務所で頂けます。
ちなみに家康と家光公は日光東照宮、秀忠公は芝増上寺で眠られています。
Google MAPで案内したら謎の山方向に指示されました。
大きな道沿いに案内看板出てるからそれを見ていきましょう見た感じ普通のお寺?ごめん価値が理解できてない歴史に詳しい人にはいいのかな?駐車場は高野山観光情報センター近くがオススメお一人様度☆☆☆デート度☆☆☆
徳川家霊台は江戸幕府第三代将軍家光公が大檀主となって1943年に建てらた。
右が家康公の霊屋(たまや)、左が家康の子で第二代将軍の秀忠高野山の霊屋(たまや)となっている。
日光東照宮と同じ霊廟造、全面の細部に彫刻や装飾が施されている重要文化財。
左右とも同じ二棟の建築物で、向かって右が家康の霊屋で、左が秀忠の霊屋です。
両霊屋とも三間四方の一重宝形造りで、江戸時代を代表する霊霊廟建築として重要文化財に指定されています。
東照宮形式として高野山に残る唯一のものとあります。
日光の東照宮は本当に煌びやかで、ちょっと違うかな〜と。
家康は寅年秀忠は卯年正面に彫刻で掘られています。
名前 |
徳川家霊台 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0736-56-2011 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
徳川3代将軍、家光によって建てられた霊舎です。
向かって右側が初代将軍、家康、左側に二代将軍、秀忠が祀られています。