やはり葛城襲津彦の墓なのでしょうか?
葛城地方最大の前方後円墳 #室宮山古墳(室大墓)は古墳時代中期初頭の築造。
水越峠を望むところに位置します。
後円部の墳丘へは #室八幡神社 境内から登ることができます #考安天皇(国押人尊)#室秋津宮 #欠史八代(ものづくりとことだまの国 2021年8月23日)
奈良県御所市周辺には、多くの古墳や神社があり、歴史に興味がある方は『日本書紀を歩く②葛城の神話と考古学』を読んでから計画すると良いかと!まだ一部しか行けていませんけど!
全国18番目の大きさを誇る前方後円墳で、登ることが出来ます。
後円部では石棺の中を見ることも可能です。
立派な石棺!復元埴輪の形も面白い!八幡神社のご神体が古墳になっている!
宮山古墳r、まず石室がある後円部の上部に行くには八幡神社のお社の左側にある階段から上ります。
上部は木々が切られていて、石室の配置が想像しやすくなっています。
北石室と南石室部分bのうち、南の石室のはじが観られるようになっていますね。
再現された靫形埴輪が唐突に置いてあります。
周りの古墳から比べて、きちんと説明板を置き整備されているのはそこそこ規模が大きく、とはいっても宮内庁管轄ではないからなんでしょうね。
八幡神社、桜田池公園とあわせて、わりあいゆっくりと楽しめる場所だと思います。
「畝傍の道」巻一の五の十九 御所市大字室室 宮山古墳(むろ みややまこふん)室 八幡神社の中ほどの鳥居をくぐって大ぶりの階段を上がります。
古墳ゆえ雑木林の中を登っていきますが、どんな古墳もこの瞬間はエキサイティングです。
日本には4
雄大な長持形石棺と埴輪を見ることが出来ます。
なんと暗い石室内を見れるように郵便受けの中に懐中電灯が常備されているのには感激した。
追記久し振りに訪れた。
何と言っても葛城を代表する古墳である。
室大墓とも呼ばれるくらいで歴史的に重要な古墳だが訪れる人は少ない。
・・・のに前の神社で一人の旅人とこんにちは!と挨拶して先に古墳上に上がり帰りに又顔を合わせたので声を掛けてみた。
何とお互いに葛城山の向うの同じ市の方だった。
只違うのは、ウオーキングで今日は20キロを予定という。
拙者はすぐ東側にあるPAから自転車で来た。
500Mも歩くの嫌。
(言い訳 効率が悪い) 流石に80歳と言うがお元気だった、当方は後期高齢者直前。
参りました。
「畝傍の道」巻一の五の十九 御所市大字室室 宮山古墳(むろ みややまこふん)室 八幡神社の中ほどの鳥居をくぐって大ぶりの階段を上がります。
古墳ゆえ雑木林の中を登っていきますが、どんな古墳もこの瞬間はエキサイティングです。
日本には4,700基ほどしかない「前方後円墳」の一つにチャレンジしているのですから、逸る心は抑えきれませんね。
私たちが踏み入れれるのは後円の墳丘部分です。
通常はこちらの方が石室・石棺のポジションになり、かたや前方部は祭祀の場所に使われたと(諸説あります)云われています。
もうすでに盗掘されていますので上部にぽっかりと穴が開けられています。
こちらの石室・石棺は兵庫県の加古川流域から切り出された石材を利用されたということですが、なぜそんな遠くの場所から?ましてや、益田岩船にあるように、亀裂が入ったものは当時の常識で使わないということだったらしいので、相当ハイテクな切り出し・運搬そして形成と設置の技術があったのでしょう、想像もつきません。
最終のポイント、室 ネコ塚古墳・秋津小学校へと進みます。
この投稿と同時進行で「葛城の道」を進めています。
あまりメジャーでないですが、素晴らしい、「西の山の辺の道」といわれる葛城古道です。
竪穴式石室と長持型石棺が一緒に見学できる稀有な古墳です。
竪穴式石室の中に 立派な石棺が見えます。
八幡神社の裏山に 大切に保存されています。
郵便受けに懐中電灯を入れてくださってます。
宮集落の八幡神社境内から鬱蒼とした森の中の階段を登っていきます。
八幡神社には神武天皇遥拝所の碑もあります。
葛城地方では最大、全国では第18位の規模の古墳で、5世紀初頭(古墳時代中期)の築造と推定される。
別称を「室大墓(むろのおおはか/むろのおおばか)」とも。
古くから後円部には八幡神社が祀られ、「宮山」の名称はこれに由来する。
「室(むろ)」は古くからの地名で、『和名抄』にも大和国葛上郡に「牟婁郷」と見える。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方に向ける。
墳丘は3段築成。
墳丘長は238メートルを測り、葛城地方では最大、ひいては全国でも第18位の規模になる。
墳丘長238mの前方後円墳、築造時期は5世紀初頭と推定。
全国第18位の規模の古墳。
埋葬者は記紀に伝わる葛城氏の始祖・襲津彦とする説がある。
葛城氏は、5世紀に大王家と婚姻関係を継続的に結び大きな勢力を誇っていたが雄略天皇に滅ぼされた古代豪族。
ところで、何で墳丘のてっぺんに郵便受けがあるんだ?投函してみようかな。
宮集落の八幡神社境内から鬱蒼とした森の中の階段を登っていきます。
八幡神社には神武天皇遥拝所の碑もあります。
葛城地方では最大、全国では第18位の規模の古墳で、5世紀初頭(古墳時代中期)の築造と推定される。
別称を「室大墓(むろのおおはか/むろのおおばか)」とも。
古くから後円部には八幡神社が祀られ、「宮山」の名称はこれに由来する。
「室(むろ)」は古くからの地名で、『和名抄』にも大和国葛上郡に「牟婁郷」と見える。
墳形は前方後円形で、前方部を西南西方に向ける。
墳丘は3段築成。
墳丘長は238メートルを測り、葛城地方では最大、ひいては全国でも第18位の規模になる。
やはり葛城襲津彦の墓なのでしょうか?後円部の頂上付近には立派な家形石棺が剥き出しに!
亦の名を「室の大墓」という。
仁徳天皇が妻の磐之媛命(葛城襲津彦の娘)に贈った歌に出てくる、「御諸のその高城なる」はこの地らしい。
また地名には「室」の名が残る。
名前 |
室宮山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main00210.html |
評価 |
4.4 |
周辺のオススメ
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5世紀初頭に築造されたとみられる墳丘長238メートルの全国でも第18位の規模の前方後円墳。
後円部に長持型石棺を持つ竪穴式石室が2基、前方部、北造出し部、南造出し部、前方部にも埋葬施設があるようです。
後円部の1基の長持型石棺が、現状保存されており見ることができます。
墳丘へは古墳後円部(東側)の神社境内からアプローチできます。
竪穴式石室に納められたままの状態の長持型石棺を見ることができるのは、こちらだけかも…。
素晴らしい。
墳丘の全体像はわかりにくいですが、北側のR309からなんとなく前方後円墳かな?と。
あまり期待していなかったのですが、良いものを見せて頂きました。