百舌鳥古市古墳群の1つである古墳です。
いたすけ古墳、たまに覗きます。
タヌキさん、最近、みれません。
本日、シャッターを切った、古墳の秋彩です‼️
愛媛新居浜から。
百舌鳥古墳群の中ではここに行きたかったのだが、工程の都合で断念した。
高度成長期の開発で工事車両が入るために設けられた橋の桁が残っている。
古墳を守ろうと地元住民が立ち上がり開発を阻止した証である。
堺市立博物館のガイドさんが、三笠宮の鶴の一声で中止の最終決定になったのだと説明を受けた。
5世紀前半の前方後円墳ですが、沢山の古墳が街並みの中にあり・・昔からの言い伝えを守ってきたのだろうと、簡単・単純に思ってしまいましたが・・・たぬきさんと地元住民の努力で「今」も現存されていたんですねm( )m 重機が運ばれた橋など経緯も知らずにただ撮影していた私^^; 今度は「狸さんに逢いに来たいですね」^^ 「大仙公園 たぬき小路」は撮影したのに・・^^;
いたすけ古墳にはタヌキが居てるので久しぶりにいったんですが暑い日だったのでタヌキは穴ぐらに入ってるのか出てこなかったです。
また今度いきます。
木が伐採されているので、古墳の形が、分かりやすかった。
かつては、取り壊されそうになりましたが市民の手によって守られた古墳です。
静かな住宅街の中にぽつんと現れる古墳派手さはないけど朽ちたコンクリの橋がいい雰囲気これいつからこうなってるのかな4半世紀ほど前も既に朽ちてた記憶🤔
朽ちたコンクリート橋、木々が刈られて痛々しい感じに見えてしまう古墳ですが、地域住民の方々の保護活動のお陰で、現在も拝見できる事に感謝します。
タヌキさんが古墳住民らしいですが、散策当日には会えませんでした。
でも、スッポン?が近くまできてくれました。
次はタヌキさん出てきてくれるかな…
百舌鳥古墳群中央にある大きさ8番目の国指定史跡の前方後円墳。
住宅造成で破壊されそうになったのを市民運動によって保存したことで、出土した冑の埴輪は市の文化財保護のシンボルマークになっています。
百舌鳥古墳群のほぼ中央にある前方部を西に向けた前方後円墳で、周りには陪塚とされる古墳が数基ありました。
5世紀前半に造られたとされ、全長約146m、後円部径約90m、高さ約12.2m、前方部幅約99m、高さ約11.4mで3段に築成され、南部のくびれ部には造出しがあります。
葺石と埴輪があり後円部からは衝角付冑の埴輪が出土しています。
台地の南端に位置しているため、濠の南側には大規模な堤が築かれています。
この古墳は昭和30年(1955年)頃に住宅造成のため破壊されそうになりましたが、市民運動によって保存されました。
当時、後円部から出土した冑の埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっています。
JR阪和線上野芝と中百舌鳥駅の中間にある「いたすけ古墳」は、5世紀前半に築造され全長約146mの前方後円墳です。
墳丘は3段に築かれ、南側のくびれ部には造り出しがあります。
また、昭和40年代に宅地開発を住民の反対で中止となつたが、その名残りの橋が残っています。
2020 2/4久しぶりに。
百舌鳥と上野芝の間東側 遊具のある公園も併設。
朽ち果てたコンクリートの橋が架かっている何とも不思議な古墳です。
いい感じに手つかずで癒されます。
住宅街の中にある古墳。
朽ちたコンクリート橋の上でかわいいタヌキが見れます。
もともとは私有地で造成されて壊される運命だったのを、市民運動が守った歴史的な遺産です。
春には桜がとてもキレイでお花見の名所になっています。
An old tomb in a residential area.You can see cute raccoon dogs on a decayed concrete bridge.Originally it was destined to be destroyed on private land,It is a historical heritage protected by the civil movement.In spring, cherry blossoms are very beautiful and a cherry blossom viewing spot.
本日、重陽の節句の日に行きました。
橋の下が少し整備された様に思いました。
猛暑日なのか、さすがに狸は見ませんでした。
亀が日向ぼっこしていました。
観光客らしき姿は見受けられませんでした。
墳墓地を守ろうとして今のいたすけ古墳があることをよく考えたいです。
追加です。
体育の日に再度行きました。
今度は狸がペアで日向ぼっこしていました。
小さくしか写せませんでしたが、写真も投稿します。
再び追加です。
11月中旬に再訪です。
狸は見かけませんでしたが、カモがたくさん見かけました。
百舌鳥古市古墳群の1つである古墳です。
狸が住んでおり、よく朽ちた石橋で日向ぼっこしています。
橋が壊れていて古墳に渡れない。
それが開発業者との戦いの結果らしい。
こうした文化財保護の方法もあるのかと思い知った。
昔ながらの懐かしい里山のような古墳。
タヌキも住んでいるという。
安住の地を得たタヌキたちはさぞかしホッとしているだろう。
「いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年に国指定史跡になりました。
」(堺市HPより)保存活動は市民運動にまで発展し、全国の文化財を守る保存運動のさきがけとなった」(石碑より)このときの市民の頑張りがあったから、世界遺産登録へのチャレンジにつながったんだ。
ドラマだぁ~
堀の水が少ない。
橋が『ワンダと巨像』でアクロが落ちた橋みたいになっている。
市民運動で文化財が開発から守られた記念碑的な場所。
橋でくつろぐタヌキ一家が可愛い。
JR阪和線百舌鳥駅と上野芝駅間にあり線路の東側で住宅地に囲まれています。
古墳はかなり大きくそれとみて前方後円墳とわかります。
北側は水がなくなっていて泥が露出しています。
北東側が児童公園になっていて碑と案内板があります。
堺市のHPによると「百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置し、前方部を西に向ける3段築成の前方後円墳です。
周囲には一重の濠が巡り、墳丘には埴輪と葺石(ふきいし)のあることが確認されています。
埋葬部分の構造や副葬品は不明ですが、墳丘の形や埴輪の状況から5世紀中頃に築造されたと考えられます。
周囲には陪塚(ばいちょう)とよばれる小形の古墳があり、善右ヱ門山(ぜんえもんやま)古墳が後円部の東側に現存しています。
消滅した陪塚には吾呂茂塚(ごろもづか)古墳、播磨塚(はりまづか)古墳がありました。
いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年に国指定史跡になりました。
現在も濠の中に残されている橋げたは、土取り工事が行われようとしたときの名残です。
保存運動の際に後円部から採集された冑形(かぶとがた)埴輪は実物の鉄製冑を忠実に模したもので、堺市の文化財保護のシンボルマークになりました。
」
前方後円墳であるこのいたすけ古墳は濠に囲まれていていて、百舌鳥古墳群の主な古墳のひとつとなっています。
古墳の周りを散策していると濠の上に掛けられたコンクリート製の壊れた橋を見つけました。
昔はこの橋を渡って古墳内部へ立ち入ることができたようですが今では内部への立入は不可能です。
名前 |
いたすけ古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-228-7198 |
住所 |
〒591-8036 大阪府堺市北区百舌鳥本町3丁338番地外 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
かつての宅地開発の名残りの桁の落ちた橋が架かる付近で、タヌキが出ると聞いていましたが、水鳥しかいませんでした。
樹木が伐採されて古墳の形はよくわかるけど、棲みついている野生動物にも配慮してほしいもの。
他の古墳も見学してますが、ここまできれいに散髪(伐採)してあるのは見かけないけどねぇ。