住宅地のど真ん中にある大きな古墳です。
古市古墳群の中で初期に作られた大きな前方後円墳。
水鳥型埴輪が発掘された古墳とのことで興味があり行ってきました。
周濠部分にはいろいろな花が植えられていて、それぞれの咲き頃になると綺麗だろうなぁと思いました。
途中に長持型石棺のレプリカと「まほらしろやま」というガイダンス棟があり、須恵器や埴輪が展示してありました。
10分くらいのビデオを観せてもらえてすごく面白かったです。
トイレや自動販売機もあり、休憩もできてありがたかったです。
もう30年近くこの辺に住んでるけど初めて古墳に入ってみた。
ゴミも殆ど無く綺麗な場所ですね。
散歩がてら中にあるベンチでのんびりピクニックをしました。
空の青と木々の緑が調和していいところだなぁと感じます。
登れる古墳です。
古墳でもあり城跡でもあります。
小山城✨津堂城山古墳を城として活用したもので、南北朝期に南朝方の志貴右衛門が築城し、室町時代後期から戦国時代には高屋城主で河内国守護職畠山義就は、重臣の安見備中守清時を小山城主としました。
古市にある高屋城が河内守護主城でしたが、安見氏を小山城に入れて高屋城の支城にしたようです。
安見清時、安見清範、安見友重と城主が続きますが、1566年に三好康重によって攻められ落城、安見友重は交野城へ退く。
小山城は三好氏の城なりますが、1573年に織田信長が若江に三好氏を攻めた時に、織田信包と瀧川一益が、五千騎で高屋城・小山城に攻め寄せて、三好氏の城であった小山城は落城しました。
織田勢がここに攻めて来たのは朝の間で4時間ほどで落城したとか。
織田信長の河内の諸城破却によって廃城になったと思われる。
小山城は古墳の丘陵を使って、墳丘部分が本丸で、南東の墳丘部分を削り、平地にして二ノ丸にしてしまったので古墳の形が崩れてる。
陵墓参考地なのに登れるん?やったーと思って訪れるとやっぱり後円部の頂上だけ柵に囲まれていました。
現実はそんなに甘くないか…津堂城山古墳は古市古墳群の中で最古の大型前方後円墳で、その規模は、墳丘長210m、後円部直径128m、前方部幅122m、二重の堀と堤を持ち(埋没)、合計面積は147000平方メートルもあります(東京ドーム3個とちょっと分)。
室町時代に墳丘に城が建っていたので墳丘の損傷は大きいです。
しかも登れるのでそれも理由の一つかと思います。
そして何より有名なのが埋葬施設と島状遺構です。
まず埋葬施設は、まだ宮内庁が立ち入りを禁止していなかった1912年に地元の人々によって掘り起こされ、竪穴式石槨の中から立派な長持形石棺が発見されました。
石棺内部には18㍑もの朱が使用されていました。
また、副葬品はその時に地元の人々が取り上げてしまっています。
島状遺構は、1983年の藤井寺市の調査で堀内から見つかった一辺17m、高さ1.5mの四角形の遺構の事です。
ここから三体の水鳥形埴輪が見つかり、重要文化財に指定されています。
現在はそれらは埋まっており、長持型石棺は本古墳の北西すぐにある「まほらしろやま」でレプリカを見る事ができ、島状遺構はそれがあった場所に説明板と共に整備されています。
墳丘上は自由に入れる古墳。
(但し陵墓参考地になっている石棺が埋め戻された後円部は除く)外郭は素晴らしいお花畑。
そして咲き乱れる桜の木。
津堂城山は現代人に胸ときめく古墳を残してくれた。
で、被葬者は誰なのか、古市古墳群の中では最古の古墳である。
誰でもその疑問は持つ。
二重の濠を持つ巨大前方後円墳。
明治45年石棺が見つかったとき人々は初めてここが古墳だったことを確信した。
石棺の大きさから見れば大王以外には考えにくい。
単なる城跡ではなかったのだ。
城造りのため墳丘は荒らされてしまったが、古墳の原型はかろうじて残った。
被葬者は誰であれ、よかったと思う。
梅 桜 菜の花 菖蒲 蓮 など季節の花々を咲かせてくださっています。
古墳ですが敷地に入ることができ、広場で子供たちが遊んだり、のんびり花見も楽しむ人も。
2022/3/29時点で桜は五分咲きくらい。
ユキヤナギが綺麗でした。
初めて見に来ましたが、早かったです。
また来ます❗
藤井寺近辺には有数の古市古墳群が在ります。
その中で此方は、立ち入れる場所 ですが見た目は小高い丘って感じ。
近隣の駐車場(30分まで無料)に停めてそこから5分ほど歩きました。
古墳の上にも登ることができます。
4世紀後半にここで人々が協力して造り上げたと想像すると、ロマンを感じます。
すぐそばの「まはろしろやま」では、ガイダンスの動画(10分ほど)や、出土品を観ることができます。
今日は久しぶりの休日。
城山古墳の梅を見て来ました。
紅梅白梅、7部咲きというところ。
記念樹として梅林となってますね。
プレートから伺えました。
柔らかな青空、白い梅の花のてっぺんに、小鳥が何羽かでさえずっていて、長閑!ぐるっと公園内ゆっくり歩き、梅見ができました!歩いて行けるので私の四季を楽しめるとても大切な場所ですね。
地域の皆様のお手入れに感謝です。
私が訪問した6/14は暑くなり、菖蒲の花は終わりに近づいていました。
そんな中でも綺麗な顔を見せてくれる花もありました!菖蒲だけではなく、蓮の花も咲いていて、神秘的な姿を見せてくれました!(^-^)/
今年の7月6日、世界文化遺産登録となったエレガントな古墳です!😄💯
日曜日の午後、自宅からバイクで30分ほどそんな近くの世界遺産に接することに小さな喜びを感じます。
前方後円墳ですが方墳部がやせ細っています千数百年の間に風雨により消失したのかしら・・・遥か二上の山の向こうはヤマトの国、古代の先祖たちはこの地から移っていったのかも知れません。
住宅地のど真ん中にある大きな古墳です。
允恭天皇の陵墓参考地とされており、後円部内には立ち入れません。
4世紀後半の築造と見られています。
室町時代には山城が築かれていたらしく、墳丘に一部改変が見られます。
後円部の墳丘から出土した天井席は近くのまほらしろやまにまとめて展示されています。
また、長持形石棺も発掘当時の資料をもとに復元されています。
古市古墳群で最古と言われている前方後円墳です。
お花の公園としても利用されており、文化財と公園がうまく調和されていると思います。
近くのまほらしろやまで、ビデオや資料の展示もあります。
大きさは大王のお墓だと思うのですが、謎ですね。
実際、名前がさすように、お城の跡として、地元では認識されていたようです。
石棺が発見されて、大騒ぎになったようです。
有名な水鳥方埴輪はアイセルシュラホールで実物が観られます。
古市古墳群の一番北側にあり、築造は4世紀後半と、古墳群では最も古いものです。
允恭天皇の陵墓参考地とされており、後円部分は宮内庁の柵が巡らされていますが、それ以外の墳丘は自由に立ち入り可能です。
長持型石棺に使われていた石壁は、近くの「まほらしろやまガイダンス棟」の前に並べてあり、内堀も含めて周辺は整理された公園になっています。
周濠からは3体の水鳥型埴輪が出土しており、重要文化財として市立アイシュラホールに展示されています。
被葬者も含めて、興味を惹く古墳です。
大阪府藤井寺市にある古墳。
形状は前方後円墳。
古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」(被葬候補者:第19代允恭天皇)として陵墓参考地に治定されている。
また国の史跡に指定されている。
前方部は南東を向き、二重の周濠が墳丘を囲んでいる。
外側の周濠は宅地や田畑となっているが、これを含めると古墳の全長は400m以上になる。
墳丘長202mは全国でも32番目の大きさ。
これまでの発掘調査などから築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古墳であり、誉田山古墳よりも先行する。
室町時代には古墳の地形を利用して小山城が築かれたため、墳丘の一部が掘削されている。
明治初期の天皇陵の治定作業では陵墓とされなかったが、1912年に、神社に建立する石碑の材料とするため、後円部の墳丘から石板を発掘したことがきっかけで竪穴式石室と巨大な長持形石棺が発見され、鏡や鏃などの副葬品が多数出土した。
そのため、後に「藤井寺陵墓参考地」に治定された。
駐車場はないので、車で行く場合は東南あたりのコインパーキング利用のこと。
立ち入り禁止の古墳が多い中で、ほどよく大きくて、実際に歩いてまわれる貴重な古墳ではないでしょうか。
この古墳、古市古墳群の中で初期につくられた大型古墳(築造4世紀後半)。
それまでは、大和地方が大型古墳の中心だった(纏向古墳群・柳本古墳群・大和古墳群 、 佐紀盾列古墳群、等)河内に大型古墳造りが移ってきた理由については諸説ある。
前方後円墳で陵墓参考地として古墳北側は宮内庁が管理しているため立入れませんが、実古墳南側及び濠などは立入ることができます(濠には水がありません)。
また、古墳内には神社もあります。
この古墳は室町時代に小山城が築かれたため墳丘の一部が削掘されています。
古墳近くにある城山古墳ガイダンスまほらしろやま(営業時間→10:00~17:00定休日→月・火及び年末年始、入場無料)では津堂城山古墳の歴史を学ぶことができます。
小山城跡でもあります。
綺麗に整備されてました。
公園、遊歩道としては心地良い場所です。
城跡は皆無でしたが古墳ならではの濠やら土塁やら、昔要塞に利用したのも頷けます。
巨大前方後円墳だが被葬者は不明。
今のところ仲哀天皇の父親である、日本武尊とされているが分かりません。
ともあれ古市古墳群では、最初に造られた巨大前方後円墳。
この古墳から出土した水鳥埴輪は、藤井寺生涯学習センターで見る事が出来るので、そちらに立ち寄るのも良いと思いますよ。
近くに大きな公園などがないので、子どもの遊び場として重宝しています。
また、緑も多く、自然散策にも最適です。
名前 |
津堂城山古墳(藤井寺陵墓参考地) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
072-939-1419 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

小さな公園があります。
ブランコ2つ、鉄棒、お砂場、滑り台です。
もう少し遊具があれば良いとは思いますが、他は大きな緑と広場になっていて、子供たちが自由に走り回っています。
古墳のため、急な坂や斜面があります。
鳥も飛んでいて自然を感じられる空間です。
菖蒲やコスモスなど季節ごとに花壇も植え替えられています。
案内所とトイレもありました。
2023.10.23追記この週末、コスモス摘みが出来るようになっていました。
昨年は終わった後に、SNSで知ったので今回はこのあたりだろう!とチェックはするもののネットなどで日程を見つけることはできず。
市役所に電話して聞きました。
笑金曜日〜火曜日の時間帯いつでも摘んでよいとのこと。
現地に行くとお知らせはあったので、地元の人だけが知る感じなんでしょうか。
去年は、ネットで知って羽曳野のコスモス摘みに行きましたが、イベントの時間帯は、ゆるキャラのつぶたんも来ていて、人も賑わってました。
こちらは、のんびりとしていて逆に穴場だと感じました。
おススメです。