名前 |
小板橋又治翁顕彰碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
題額 国務大臣防衛庁長官 中曽根康弘書小板橋又治翁は明治二十二年当時の素封家に生を亨け少壮にして抜群実業界に身を投じ大正四年碓氷精錬株式会社取締役に就任以来碓氷社副社長など蚕糸業関係の最高幹部の一人として尽◯す。
昭和十八年戦時統制による日本蚕糸製造株式会社参与並びに群馬県繭糸販売?組合連合会常務となり戦後群馬蚕糸製造株式会社を設立しその社長として郷土蚕糸業復興の重責を果し、二十一年中央蚕糸会理事に就任など終始蚕糸群馬のために全力を傾倒せり。
一方大正十四年松井田町議会議員同年助役となり引続き昭和九年松井田町長に選ばれ十二年間町政を主宰し昭和十一年群馬県議会議員に当選し二十二年まで在任。
政治家としても幅広く活躍し三十一年推されて町長に選ばれ県町村長副会長となる。
この間女子教育の必要を主唱し実践高等女学校を創設爾後の県立松井田高校を基礎を打ち立て更に町基本財産造成のため小根山国有林六十余町歩の払い下げを受けこれが後の小中学校建設の基金となるまた菩提寺補陀寺の大改築に際し巨額の寄付をなすなど町民の福祉と町勢発展に貢献せる功は枚挙に暇なし。
昭和十七年松井田高校建設費篤志寄付に対して紺綬褒章受章昭和二十六年富岡製糸場に於いて天皇陛下に◯◯を賜り更に昭和三十年十月藍綬褒章四十年春自治功労により勲五等瑞宝章を授かり四十三年秋皇居園遊会に召されるなど数数の光栄を担う。
人此の世に生まれるやその使命を負うというが、翁八十年の生涯は直実一路の郷土愛に貫かれたるものにして物心両面より松井田町百年の将来に一大礎石を据えたるものというべきなり。
この度翁を知る人々進んで浄財を寄せ茲に顕彰の碑を建つに際しその由縁を録し以て後世に伝う。
昭和四十六年四月四日小板橋又治翁顕彰会 建立前橋市立図書館長 萩原進 撰文?高崎市 須藤王山謹書碑の裏には、碑建立の多くの賛同者の名が刻まれています。
松井田町のみならず群馬県の繁栄に大きな足跡を残された人として、多くの人の記憶に残っていてほしい人だと思います。