名前 |
関蟬麻呂神社遙拝所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
由緒の石碑を読んでも、いまひとつわからないですね。
蝉丸の子孫がここに住んでいるということなのでしょうか。
人皇五十四代仁明天皇第四皇子 彼の百人一首の これやこの行くも帰るも別れても知るも知らぬも逢坂の関 を詠し給ふ歌人蟬丸王琵琶法師 三世の契り断ちもせで 雨の降る日も風の夜も逢坂山に閑居して真如の月の影清く 光明遍照十方の無邊の境に響くまで 無明住地の長き夜を彈じ給ひし関清水大明神 音に名高き江州の三井寺山に祀らるゝ 最も賢き御神也 神去りましゝ其後は 一部は多氣に一部は城田の上地に足をとめ 三百年の其昔時の奉行肝付に中楽山に見送られ 今の世帯は三十四戸 昭和二年の縣會に地方秘蔵の古文書あらば出すべしと某等廰に質し 三井寺に問い 眞に得る處あり崇祖の至情伏し難く 子弟教養の精神をも喚起し 衆議一決昭和四年六月廿日請許可 同時に區の西端上畝十一歩の地を卜し 高きを鏟して低きを埴め 石を疊みて拝所を設く 村民外有志渇仰隋喜資財を喜捨し 同年十一月七日竣工 神人和樂誠歓喜冀しくは慈忍接衆積善養福昭和四年十一月 正伝八世學洲勤寄穚。