宝暦治水の義士を祀った神社。
木曽三川公園に行ったときに、駐車場脇に大きな神社があるので寄ってみました。
この辺りの治水の逸話は、多少のことは知っていましたけど詳しいことを知らなかったので改めて勉強になり深い感動を覚えました。
しかし、いつの世も犠牲になるのは一般庶民とか下っ端なんですよね。
自分の身に置き換えて、胸が詰まる思いでした。
非常に感じるところのある神社様でした。
岐阜県海津市にある木曽三川公園に隣接する神社。
江戸時代、木曽三川が洪水を起こし幕府が薩摩藩に依頼して堤防を築き、その犠牲者を弔っています。
ただ、この事が幕府に対して怨みを持ち、明治維新が起こったと言われています。
当時の工事責任者、平田靱負(ゆきえ)と島津家を奉ってあるので正殿に二つの家紋が入っています。
なかなか、立派な神社で鳥のさえずりが聞こえていい感じの所なので近くに寄ったら参拝して欲しい。
御朱印は平日は9時~13時まで、土日は15時までやってます。
駐車場は神社の手前に信号があるので、左折して下に下った所にありますのでそこから歩いて神社まで行くといいですよ。
立派な神社でした。
大きな木も多く、両脇川に挟まれています。
千本松原の一番北側に位置する場所にあります。
木曽三川公園の南側です。
手水舎がとてもかっこよかったです。
トイレもあります。
壮絶だけど、良い歴史ですね。
大事に語り継がれますように。
薩摩と木曽三川との間に関係性があったことに驚愕です。
もっと語り継がれるべき歴史だと思いました。
岐阜県のほとんどの小学校で習う宝暦治水。
「遠い遠い鹿児島県の人々が堤防を作ってくれたから今安全に暮らせているのだよ」と小学校で習います。
薩摩義士には感謝しきれません。
この巨大な三河川の難工事を、遠い薩摩からわざわざ来て、やっていただいたのです。
江戸時代のこのできごとがきっかけで、今でも岐阜県と鹿児島県は姉妹県になっており、教員の相互交換などの交流があります。
実際にこの日も、治水神社の駐車場に鹿児島ナンバーの車が1台止まっていました。
鹿児島のみなさん、何百年たっても忘れません。
ありがとう。
木曽三川公園とセットで訪問しました。
お社をぐるっと回れるのでとても良く見ることが出来ました。
大きな神社ではありませんが川の工事の事、薩摩藩島津家のことなど丁寧に説明書きがあって勉強になりました。
二輪車用のお守りを御分け頂きました。
御朱印もやっておられましたが、家に忘れて来たのでまた参拝に行きたいと思います!
木曽三川公園の後に寄った。
同行者が鳥の写真を撮る事を趣味にしているので…。
治水工事のために亡くなった多くの方を供養しているらしい。
警戒水位の標識にはびっくり‼️静かで趣のある神社です。
水鳥の写真も撮れた。
駐車は奥(松林の方)にもできるようです。
私たちは、木曽三川公園の駐車場に入れたまま。
木曽三川公園センターへ行くと帰りにいつも治水神社が気になってました。
御朱印巡りしてます(主に全国一之宮巡り)この日は公園へチューリップを見た帰り信号で待ってたらなんとな~く治水神社へ行ってしまった。
宝磨治水(ほうれきちすい)工事に尽力した薩摩義士を祀ってるようです。
HPに・・徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため薩摩藩にお手伝い普請を命じました。
薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながらこの地方の住民のため、多大の犠牲を払い万難を排して工事を見事完成させました・・以下省略大鳥居から左手には揖斐川(三重県側)手水舎・社務所・治水昭和之宮・伊藤光好胸像・薩摩義士像育て松・隼人橋、その他歴史に関係ある方の記念碑がたくさんあります。
家紋が2つあるようです。
島津家家紋~丸に十の字平田家家紋~丸に上り二つ引両そして建物が面白いと思いました。
本殿・祭文殿・拝殿が、渡殿で連結されてます。
御朱印で参拝ではなかったのですが御朱印帳は自宅待機書置きを拝受いたしました。
自分の前にみえた方が御朱印に直筆で御朱印を頂いてましたが今の時期、コロナで書置きが多いです。
今度は御朱印帳を持参して改めて参拝させて頂きたいと思います。
こぼれ話・・薩摩繋がりで九州の方から参拝に来られる方が多いそうです。
工事に携わってた方々が病気で亡くなられ羽島の方にも埋葬されてるような事を聞きました。
(2021/1/18参拝)
20/11/3 参拝。
江戸幕府の名により薩摩藩が木曽三川分流工事を請け負い、家老平田靱負(ひらたゆきえ)及び薩摩藩士84名がその任に当たりました。
工事は完成したものの多くの藩士が命を落とす事になり、平田はその責任を負って自害されました。
犠牲は伴ったものの、地元の民は大いに恩恵を受け、代々恩を忘れる事はありませんでした。
時が経ち昭和13年、平田大人を神と讃える地元の民が建立、彼を御祭神とし犠牲になった薩摩藩士と共に祀りました。
境内には尾張の地であっても、薩摩藩の家紋が誇らしげに記されています。
水害から守ってくれる非常に強い神として、全国から個人、企業問わず参拝者が来られます。
この日は木曽三川公園に最後のコスモス観賞に訪れました。
その横にあるのでここにも立ち寄りました。
時間は朝の10:00過ぎ、公園にはボチボチ家族連れや散歩に来られた方々が見られましたが、こちらにはあまり人は見受けられません。
公園側から階段を下りると神社本殿の横に行けるのですが、外の道から鳥居のある表参道へ回ります。
道路から少し階段を下りたところに参道があります。
境内は貯水池沿いにあり、こちらが水に関わる神だとよく分かります。
鳥居の手前に神社名が書かれた石碑が見えます。
その横に東郷平八郎 書となっています。
どんな所縁があるのでしょうか。
一礼して中へ。
鳥居を潜った少し先の左手に手水舎、その奥が拝殿となります。
楼門には薩摩藩の家紋の垂れ幕が飾られています。
左手の社務所前には薩摩藩士の銅像があり、彼らの功績を知らしめて居ます。
それらを拝見して拝殿でお参り。
私は特に水回りで困ってはいませんので、家族の健康をお願いしました。
駐車場は公園の無料駐車場を利用出来ます。
100台以上は停められます。
御朱印は楼門横の授与所で直書きして頂けます。
宝暦治水に携わった薩摩義士を顕彰する神社。
散策にも好適。
鎮守の森ではサギが繁殖します。
江戸時代に、この地方の治水工事を担った、薩摩藩士達を奉った神社です。
多大な犠牲を払って木曾三川の水害で苦しむ住人を救って下さった事に深く感謝して参拝させていただきました。
川べりには春になると夥しい桜が咲き誇り、見る者に安らぎと癒しを与えてくれる感じがします。
御祭神/治水の神 平田靭負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)。
昭和13年(1938)建立。
治水に尽力された薩摩藩士の功績を讃え平田靭負大人の遺徳を偲び犠牲になった多くの藩士たちを慰霊しています。
治水神社は、岐阜県と鹿児島県を繋ぐ心の懸け橋にもなっています。
境内には、昭和28年(1953)宝暦治水工事の犠牲者全員を祀るため宝暦治水観音堂もあり、本尊は像高約100㎝の木彫観音立像(観世音菩薩像)です。
お堂の前には、綺麗なお花がお供えしてありました。
他に境内社として治水昭和之宮があり、昭和34年9月26日(1959)東海地方を襲った伊勢湾台風の主として三重県内の犠牲者を慰霊するため翌年創建されたそうです。
境内には、社命碑、顕彰碑、立派な大鳥居、隼人橋(今の橋は二代目)があります。
訪れた日早朝神職さんが落葉等の掃除に汗を流されていました。
お疲れ様です。
平田靭負他21基の墓所は、桑名市北寺町10番地 海蔵寺(曹洞宗)さんにあり、平田靭負他21基の墓石が現存し、桑名市指定史跡となっています。
「水との苦闘は難工事の連続、その上度重なる洪水に工事費ははるかに超過し、幕府側の迫害や侮辱、工事の邪魔等に耐えかねて自決した者五十三名、疫病の流行で病没三十三名にも及んだ。
総奉行は藩主重年公に工事竣工の報告を副奉行に託し、全責任を負って宝暦五(1755)年五月二十五日享年五十二才でこの世を去った。
幕府の命令とはいえ三百里も離れた異郷の地を水害苦難から救った薩摩藩の人達の血と汗と涙の結晶は、今もこの地に語り継がれて薩摩義士の偉業として称えられる大治水事業であった。
この治水神社は平田靱負を祭神とし、その時亡くなられた八十余名の方々をお祀りして感謝の誠を捧げ願望成就の神として嵩敬されている。
」宝暦治水由緒書より。
創建は昭和と、意外に歴史がない。
しかし宝暦治水で犠牲になった薩摩藩士へ思いを致すことが出来る、貴重な神社。
薩摩藩士が命をかけて作った堤があります。
近くを通るときは、一度ご覧になることをお勧めします。
意外な歴史がある神社です。
木曽三川公園センターに近く立派な神社ですが残念ながら改修工事中でした。
野鳥の死骸が其処此処に放置されていて残念です!
岐阜と鹿児島の関わりや、歴史が感じられました。
木曾三川公園の側にひっそりある神社ですが趣のある神社です。
桜の頃は とても美しい。
水難避け、家内安全、交通安全にご利益があるという。
神祭は、薩摩藩家老平田靱負(ひらたゆきえ)。
及び薩摩藩士84名。
平田靱負は、宝暦4〜5年(1754年〜1755年)、薩摩藩が幕府の命で行なった、木曽三川分流の治水工事(宝暦治水)の責任者であった。
治水工事が終わると、莫大な工事費用と数多くの藩士が亡くなった事の責任を取り自害している。
1938年(昭和13年)建立。
薩摩藩士を祭る為に、1927年(昭和2年)起工。
地元の人々の浄財で建立される。
三重県と愛知県の絶妙な間…の、岐阜県に位置するこじんまりとした神社サンです。
無料駐車場もありますが、ちょっと…狭いと言うかわかりづらいかも?境内はキレイに掃除されています。
私が参拝した日は地元の御祭だったので、書き置きの御朱印を頂きました。
社務所にいらっしゃったオバアチャン…凄くにこやかで気さくにお話をしてくださり、ほんわかした気分になりました♪
徳川幕府が薩摩藩の財力を削ぐ為に命じた木曽三川の難工事。
平田ゆきえ家老のもと完成。
その偉業が 平田町の由来です。
難工事の為多くの犠牲者が出ました。
完成後 平田ゆきえ家老は自害されたと伝わっています。
昔の人達のおかげで現在が有る事忘れてはならないと思います。
いつも。
堤防建設に尽力された、薩摩義士が祀られている神社です。
御朱印は宮司さんが午前中しか居ないので午前中に。
何時からだっけ。
鹿児島に縁が有るなら詣るべき。
治水がなければ農作物も出来ないし、住むことだって出来なかったんですよね。
多大な感謝の念はいつまでも無くなりません。
ここのカラスはウナギが捕まえられるのか、咥えて飛び回ってました。
同じの郷土鹿児島出身で 遠く離れた地で偉業❗どの様な場所なのか見てみたく来しだい 静かな中洲に建ってます 公園駐車場は4時半までだから早め行くべし。
宝暦治水の義士を祀った神社。
千本松原にもなっているが、害虫にやられて現在は千本も無いとか。
自殺の名所とも言われ、幽霊が出る事でも有名だが、真実は分からない。
駐車場は木曽三川公園の駐車場を利用できるが少し遠い。
静かな松原を歩き、義士を尊ぼう。
名前 |
治水神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0584-54-5928 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
10月30日509回目のサイクリングに自宅を7時30分出発。
秋めいた季節となり早朝は夏仕様のサイクルウェアでは肌寒く感じます。
一宮138ツインタワー周辺サイクリングロードにはカラフルなウェアを着たサイクリストが次々と走り去って行きます。
木曽川中洲川島町外周道路を2周、河川環境楽園外周道路を1周して木曽川堤防道路を南下。
頬を掠める風が心地良くペダルの回転もいつにも増して滑らかです。
木曽川祖父江緑地で今日初めての休憩です。
馬飼大橋を渡り木曽川と長良川の中道へ。
中道を走行する親子連れに遭遇。
かなり走り込んている様子が窺えます。
子供は12〜13歳の男の子。
必死で親子を追うのですが縮まるどころか差は開く一方です。
最初は30m程でしたが中道10kmを走り終える頃には約200mの差になっていました。
ハアハアと息が上がります。
木曽三川公園展望タワー前に鎮座する治水神社に立ち寄りました。
治水神社は岐阜県海津市海津町油島にあります。
木曽三川の水害に悩む濃尾平野西南部の住民を救うため薩摩藩士が治水工事を完遂したと云う歴史があります。
治水神社はその功績を称え昭和13年に創建されました。
御祭神は平田靱負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)です。
御神徳は除災招福、心願成就、家内安全、国土安穏です。
サイクリングの続きです。
長良川大橋、立田大橋を渡り木曽川堤防道路を北上。
東海大橋から八開稲沢線512号経由稲沢へ。
14時10分自宅に到着。
走行距離103kmで6時間40分の爽やかな長旅でした。