織田信長と今川義元の桶狭間の戦いの古戦場の跡とされ...
桶狭間古戦場 伝説地 / / .
おととい長女と名古屋市と豊明市両方の桶狭間古戦場に行って来ました。
両方とも観光ガイドのかたがいらっしゃって熱気ある語り口でしたが結局双方真逆のことをおっしゃってました😊
戦国時代の有名な戦のひとつ、織田信長と今川義元の桶狭間の戦いの古戦場の跡とされる場所のひとつです。
少し離れた場所にもう1カ所あるようなのですが、自分は電車だったので駅から近いこちらしか訪問できませんでしたが・・・。
果たして本当はどちらが戦いの場所だったのか、はたまたどちらも不正解なのか・・・歴史にロマンを感じる部分ですね。
敷地内は今川義元の墓がある他は普通の公園といった雰囲気で、説明書きがなされた看板が少しはあるものの、本格的な博物館のような施設はありません。
なので出入りはフリーにできますが、純粋な意味での見どころはと言われると、答えに詰まりそうですね^^;昔の戦いに思いを馳せられる人はいいですが、そうでないと楽しい場所とは言いづらいかな。
駅から近い一方で駐車場はないようです。
トイレはありました。
こちらは国指定史跡の、桶狭間合戦古戦場跡です。
今川義元の戦死の地と言う石碑や墓も有ります。
夕方頃行ったので誰も居なくてゆっくり見れました。
桜が綺麗で整備の行き届いた美しい公園です。
無料で桶狭間合戦の解説ガイドu0026パンフレット配布をして貰えます。
散歩で訪れた歴史素人ですが、偶然にも学者様の太田 輝夫先生に合戦について丁寧に解説して頂きました。
今川と織田が戦った場所、という認識だったのですが、先生のお話でそれが大きく変わりました。
特に令和発見の合戦の新説についてが大変興味深く、歴史に興味のなかった私でも帰ってからネットで歴史を読み直すほど面白かったです。
公園で販売されている先生の著書「奇計」も拝読しましたが、私のような素人にも読みやすく大変面白かったです。
先生の新説はあくまでも説のひとつだそうですが、それを抜きにしても、戦国の歴史好きな方なら1度は立ち寄って後悔はないと思います!!
もう一つの古戦場跡。
こちらが国指定ですので見ていて歴史を感じます。
近くに駐車場はないので、周辺探さなくてはなりません。
駅からは近いです。
駐車場がありませんので、私は近くの信金のコインパーキングに停めて行きます。
20分以内でしたら料金は無料です。
緑区の桶狭間で今川義元さんが討ち取られたか、こちらの伝説地だったのか論争がずっと続いていますが、残された証拠からこちらが有力ではないかと思います。
(YouTubeで、歴史学者の方は伝説地南のホシザキ株式会社さん辺りではないかと言っておられます。
)
平日昼間に訪問豊明市側にある桶狭間合戦の縁ある場所とされる今川義元公討死の場所とされ本陣の為、武将も同じく討たれていたとされる駅から程近くまた住宅地にひっそりと整備されている場所隣接して鎮魂の地蔵や唄なども有る公衆トイレの整備されていた近くに寄った際には訪れても良いだろう。
⚔️織田信長と今川義元の合戦場とされる伝承地。
散歩コースのような小ぢんまりした史跡ではあるが、馳せる想いは無限大。
歴史の教科書にも載るような戦場の跡のわりに、とてもひっそり存在しいる小さな公園です。
名古屋市にある古戦場公園とどちらが今川義元が討たれた場所なのか?古に想いを馳せるのはとても楽しいです。
名古屋市の公園にも行ってみたいです。
名鉄名古屋本線の中京競馬場前駅から程近い場所に桶狭間古戦場伝説地はひっそりとあります。
公園のように整備されていますが、通り過ぎてしまいそうなくらい目立たない場所にあります。
国指定の史跡になっており今川義元の墓もあります。
住宅街のなかに、こじんまりとした公園でした。
地元のお子さんが大勢遊んでいました。
資料は良くわかるもので、地元の保存会の御尽力ですね。
訪れる人が少ないのか?静かで落ち着いた場所でした。
桶狭間公園との連絡が良ければ有難いと思います。
此処で義元公が討ち取られたのかは分からない。
退却戦を繰り返した。
その一箇所なのだろう。
名鉄の駅中京競馬場前駅から5分でここ 今川義元公の墓が並ぶ国指定の場所です。
右手側は、少し高い崖になってお寺さま高徳院ですが、改築のおり地下から、古い武具が大量に出て来たそうです 名古屋ではなく豊明市ですがここが、今川義元公の最期の場所ようです。
各時代に、歴史の石碑が作られて行くのが日本の凄いところかと思います。
出陣前に幸若舞の敦盛を舞う織田信長は美しかっただろうねそう考えると戦も美しかったと言えるのかもしれない。
人の争いなど夢幻の如く、世の時の流れの儚さよなんてね(笑)あっという間の桶狭間の戦いで変わってしまったそう考えると感慨深いなあ義元はいつか負けるべくして負けたのかもしれないね🙏
中京競馬場前駅徒歩2分の所にあります。
今川義元のお墓や桶狭間の戦いに関する石碑や案内板などが随所にあります。
駅前ですが、緑が多くて落ち着きます。
桶狭間の戦いツアー2豊明市版の桶狭間古戦場です。
実際に戦闘が行われた場所ははっきりせず、豊明市側の主張する場所です。
桶狭間山と言われる場所は、山が削られてホシザキの工場になっています。
谷間にある一帯で、名古屋市と比べると、かなり桶狭間の戦いのイメージに近いかと思われます。
自分は、豊明市に1票です!
桶狭間の戦いの時に今川義元の本陣だったと云われている場所です。
今は公園として整備されています。
園内には江戸時代に建てられた弔古碑や石表、明治時代に建てられた今川義元の墓碑があります。
桶狭間の古戦場と云われている場所は他にも幾つかありますが、要は今川義元の本陣はどこだったか、主戦場はどこだったか、ということでしょう。
その決着はいまだに着いていません。
桶狭間の戦いにはまだまだ謎が多いようですね。
ところで今回の大河ドラマ「麒麟がくる」では片岡愛之助さんが、いかにも戦国武将らしい堂々とした今川義元を演じています。
桶狭間の戦いはどのように描かれるか知りませんが、私としては雲霞の如く押し寄せる織田の兵を愛刀・左文字でバッタ、バッタと斬り倒し、最期まで鬼神のように戦い抜く勇ましい義元が見たいですね。
自分が出資している愛馬を応援に中京競馬場へ出掛けた帰りに、せっかくなので立ち寄ってみることに。
ここは、地元の人にとっては、道路の歩行帯がないので(駅から坂を上って向かう面では)、この公園?を突っ切って行くしかないようで、通路でもあるようです。
道路の対岸にあるお地蔵があるところとか、見てまわる分には、そこまでの所要時間はかかりません。
近場に坂を上って少し進むと、飲食店があるので、そこでお昼を食べました。
城跡がある場所を店主から聞いたら、歩きでは遠いそうなので、断念しました。
今川義元の最期の地にきました。
地元のボランティアガイドさんに説明を聞きながら、現地を巡れます。
同じよう尾張でもここらは今川領だったのでしょうか? 義元びいきの案内でした。
供養碑や地元の方々が長い年月、義元を供養してきたことを説明します。
いい領主だったのでしょう。
豊明市栄町南舘の〔桶狭間古戦場〕はおそらく日本史の中でもっとも知られた古戦場だろう。
様々な碑が建っている。
・史蹟桶狭間古戦場 昭和16年(1941)10月に建てられた碑。
・桶狭弔古碑 文化6年(1809)神官・氷室豊長が建立。
尾張藩の儒学者・秦鼎が、今川軍の視点で描いた「桶狭間の戦い」などを刻む。
・今川治部大輔義元の墓 明治9年(1876)9月に有松の住人・山口正義らが建立。
ここは以前は塚だった。
・七石表 (1号碑) 江戸時代に建てられた今川軍7人の戦死場所を示す碑。
1号碑は今川義元の戦死場所を示す。
7本中6本が伝説地内、1本(2号碑)は高徳院内にある。
投稿写真は東面で「桶狭七石表之一」と彫られている(北面に「今川上総介義元戦死所)。
・香川景樹歌碑 あと問へば昔のときのこゑたてて松に答ふる風のかなしさ 景樹 香川景樹:江戸時代後期の歌人。
明和5年(1768)-天保14年(1843)。
古戦場内の碑それぞれに豊明市による説明板が付いていて訪問者に親切な配慮がされている。
上記の説明は説明板をベースとした。
国道1号線から折れて数十メートルで、この場所に来られる。
もちろん、古戦場だったというだけで、いまそこに何があるということではないが、教科書にも載っているあの桶狭間が、非常に開けた市街地にあることに、意外の感を受けた。
とはいえ、「桶狭間」は「点」ではなく、この一帯を指す呼称とのことなので、この緑地が、戦いの中心だったということでもないようだ。
小瀬甫庵の『信長記』を信じたか、地名の印象からか、旧日本陸軍なども、信長の軍勢は今川義元の陣に向かい、高地から駆け下って攻め込んだと考えていた。
だが、どうやら「桶狭間山」を駆け上がって奇襲したというのが本当らしい。
その山(丘ぐらいのものだと思うが)は、すぐ近くにある仏寺「高徳院」が比定されている模様。
こちら豊明市の桶狭間古戦場伝説地にも、今川義元本陣跡と説明があります。
この施設の北側には、煉瓦造りで時計台のある洋館があり、西側には高徳院という綺麗なお寺があり、寺院内に今川義元本陣跡の標柱と仏式墓石があります。
昔から桶狭間古戦場といえば国道1号線入ってすぐのこの伝説地ですが、近くの桶狭間古戦場公園と共に歴史散策して信長公の偉業を肌で感じられる地域にして頂きたいです。
綺麗に整備してあり、厳かな雰囲気で空気が重い気がします。
名古屋市緑区の古戦場跡は明るい雰囲気ですが、こちらは古戦場独特の雰囲気があります。
義元公の墓が二つあるのは、それだけ激戦だったのでしょう。
七ッ塚や戦人塚があり、随分と距離があるのも、大変な激戦だったのでしょう。
横の道は交通量が多く、信号待ちで渋滞しており、民家もたくさんありますので、約450年前とは全く別世界ですね。
何回も訪れたくなる場所。
静かで歴史ファンにはイイとこですよ♪
桶狭間の合戦跡は子供の頃から行ってみたかった場所で、ようやく行くことが出来ました。
しかし、こちらと名古屋市側のもう一箇所古戦場跡に当たるという公園があることは知りませんでした。
両方を訪ねてみて、往時に思いをはせることができました。
街中の小さい公園みたいなところに史跡がいきなりある感じ、古戦場とは思えないが、史実なのでそんなものかという印象、ガイドさんがいて説明してくれます。
国道一号線を走っていると「桶狭間古戦場」という青看板が出てくるのですぐ分かると思います。
曲がってすぐ。
公園になっており、いまとなっては憩いの場といった感じです。
「桶狭間古戦場を訪れるのは国民の義務」ってことで、土曜日にふらっと訪れた僕だった。
ある意味、関ヶ原よりも意味深い合戦だろう。
で、たどり着くや否や待ち構えていたボランティガイドの方が丁寧に解説してくれた。
この後、緑区側の古戦場にも行く予定だったが、このときに「まぁ、あっちは偽物だろう」という結論に達した僕は速攻で行くのをやめて岡崎城へ向かった。
名前 |
桶狭間古戦場 伝説地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0562-92-8317 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
織田信長が今川義元を討ち取った場所のようです。
ここで子供や犬が楽しそうに遊ぶ姿を見ると、ここが激戦地だったとは思えません。