境内に20台くらいの駐車場はあります。
四条畷神社は重厚な外観なのですが、明治時代に創建された比較的新しい神社です。
山の中にある神社なので、ひたすら坂道を上った後に、さらに階段。
けれども、おかげで「清涼感あふれる空気」「爽やかな手水舎」とっても清々しい神社です。
祀られているのは「楠木正成公と、お母さま」「楠木正成公の家臣」……南朝のために命を落とした方ですので、明治時代に神社が作られたのかもしれませんね~拝殿に立つと、山から吹き下ろす風が心地よくて。
トンボが飛んでいて、キレイなトカゲがいて。
灼熱の娑婆をスッキリ忘れられます🤣ちなみに、階段を登りきった所の石柱に刻まれているのは、左「ぎょうじゃく」、右「ゆうふ」と読み……ぎょうじゃく:恭しい、厳かなさまゆうふ:優しく包み込むさまとのこと。
日本語っぽくないですが、ココの神社が当時「論語普及会」に関係していたらしく「その関係かもしれません」とのこと。
神社の方が「詳しい事は分かりませんけど」と断りながら、色々教えてくださいました🥰
楠木正行公をお祀りしている神社です。
閑静ないい神社でした。
ただし、車で行くのは駐車場が急坂を登ったところにあってけっこう不便です。
南北朝時代の名将、楠木正成の息子、正行が祀られる歴史ある神社。
100段ほどの階段を上がらないといけませんが、車だと上まで行けます。
12月上旬でも紅葉が見られました。
大阪の街が遠望できます。
初詣はそれなりに混んでます。
楠木正成の息子、正行とその一族24人を祀っている神社です。
下に大きな鳥居があり急な階段を登っていきます。
駐車場が上にあるのですが、車ではなく是非、歩いてこの下の大きな鳥居をくぐって階段を登って欲しいです。
何故なら鳥居をくぐった時のあの一瞬でぶわっと変わる空気を感じて欲しい。
神社が迎え入れてくれているように感じます。
近くにタイムズはないので駅からまぁまぁ(徒歩10分〜15分かな?)歩くのですが 運動不足解消には良いのではないでしょうか。
私はここへ来る時は駅近くのタイムスに停めて 歩いてここへ参拝しに来ます。
車で境内駐車場まで行けるので、小さなお子さまや年配者も参拝しやすいと思います。
鳥居近辺の駐車場から境内の駐車場までの僅かな距離ですがかなり勾配がキツく、車の対向は出来ないので注意して走行しないといけません。
鳥居を潜って階段を登る事で、心を無にして登ることが出来ました。
JR四條畷駅から徒歩15分弱で行けます。
神社横を行くと飯森山の登山口があります。
御祭神は楠正成公の嫡男の楠木正行公と25柱が祀られています。
境内周囲は木々に覆われており整然されておりました。
大楠公をお祀りする湊川神社には、日々お詣りしていますが、四條畷神社は初めてお詣りしました。
改めて心が洗われる思いがします!
JR四条畷駅から徒歩15分位少し登り坂ですがそれ程苦にはなりません。
神仏霊場巡礼の旅にて御参り、御朱印を頂きました。
初めて参拝しました自転車で行ったのですがぁなかなか大変でした。
高台にある神社でした。
階段が100段以上あるし踊り場まで50段もあるので登るのが怖くて大変です😅でも上からの景色や新緑がとてもきれいで心地よいです✨階段が苦手な方は向かって右側に登り坂があります。
この休憩スペースには自動販売機があります🥫夏場は蚊がいるので虫除けスプレーをして行ったほうがいいです🦟掃除も行き届いていていつも気持ち良いです。
神社の方、いつもありがとうございます😊
南北朝時代に四條畷の戦いて戦死した武将の楠木正行を祀っている神社です。
春は桜、秋は紅葉に包まれ、美しい夕焼けもじっくり眺められます。
(四條畷駅に展示されている楠木正行像と四條畷神社をイラスト化してみました)
吉野神宮をお詣りさせて頂いたおり、南朝のご忠臣をお祀りするお宮さまが全国にある事を知りました。
そこでこの度の夜行車中泊お詣り『浪速編』の4軒目で寄らせて頂きました。
楠木正行公と御母堂が御祭神で、丁度お宮参りのご家族に出逢いました。
赤坊の元気な鳴き声を聞き、お前もまだまだだね、頑張れと神さまに言われた気がします。
落ち着きのあるお宮さまです。
山腹にある為、駐車場への道が急なので御注意を。
四條畷駅から歩いて行きました。
10分くらいは登りです。
展望台からの景色が素晴らしく、大阪が一望出来ました。
今度は夕日を見に行きたいです。
旧170号線からなだらかな坂をまっすぐ進んでいくと、境内に20台くらいの駐車場はあります。
ここは南北朝時代に四条畷の戦いで戦死した南朝の忠臣、楠木正行を祀る神社です。
墓所はこの神社から西に下ったところにあります。
本殿の隣には正行の母を祀る御妣神社があり、子育て、子宝のご利益があります。
境内には、湊川神社に発つ父正成との別れ、「桜井の別れ」の像があります。
この神社は、なにわ七幸巡りの一つです。
桜がとてもきれいで。
長女のみやまいりから38年ぶりに訪れました❗️大東市の西楠の里に住んでいましたので、感慨無量です。
かっての住まいも訪れ、知人にもあえて、まさに感慨無量❗️近くの小楠公正行さんの墓所の大きな楠木にも再会?できましたよ😅思い出を辿ることは良いことだとつくづく思いました❗️
南北朝時代の四条畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行を祀る神社です。
正行は、大楠公と称される父、楠木正成の息子で小楠公として、いまも多くの人に慕われる「忠公両道」の名将。
神社の東側にある飯盛山は、古来戦いの要の地だったとか?今は緑豊かな静寂をたたえる。
山頂には正行の銅像がある飯盛山城ってのもあるそうです。
境内には桜や楓が多くあり季節になると景色もいいので凄く綺麗です。
鳥居前から右に道があり車で境内まで上がれます。
階段が苦手な方は右側の坂道から上がれます。
距離も長くはありません。
四条畷駅前にタクシーもあります。
駅からはずっと上り坂。
コミニティバスらしきものが鳥居前まで駅からきてました。
境内に起伏なく車いすでも移動可能だと思われます 四条畷駅の改札をでて左にバス乗り場があります。
素晴らしいロケーションです。
おおさか七幸めぐり、最後の参拝です。
120段近い石段も気にならない位の境内の期待感を醸し出してくれました。
明治期に南朝が正統とされ、大楠公・楠木正成が神格化され、その意思を継いだ息子・正行も小楠公と呼ばれ、崇められるようになった。
飯盛山山麓の住吉平田神社の新職らか中心となって楠木氏を祀る神社創建を願い出、1889年に勅許を得て、翌年なは創建した。
生駒山系北部の高台に鎮座し、大阪平野の眺めが良い。
知名度の割には静かな落ち着く神社です。
楠木正成の嫡男 正行(小楠公)を祭った神社境内正面に拝殿があり、拝殿の左手に当社祭神・楠木正行公の母・久子を祀った御妣(みおや)神社がある。
東高野街道(旧170号線)沿いに一の鳥居があり、坂を登って階段を登ってたどり着きます。
平日は参拝客も少なく神域は静謐な雰囲気です。
階段下の二の鳥居は、ハイキングの出発地としてよく目印にされています。
南側を回って神社の山側から回れば飯盛山の尾根伝いに山頂まで行けます。
鳥居の前を北に進めばむろいけ園地までのハイキングコースがあります。
神社の上(東側)は桜の木が多く春にはきれいな花を咲かせますが、花見をするのは有料だとのことですので気をつけましょう。
トイレは階段の途中、南側にあります。
参道の長い石段を登りきって目に入る景観が素晴らしい(笑)とても格式の高い神社です。
学園都市線四條畷駅から、大阪でも指折りの進学校四條畷高校の方向と反対側、生駒山の方に結構歩かないかんでぇ~(緩い坂道20分程)階段も急で一段一段が高い、高い。
でもって登った時の有り難みが増す訳ですわ。
広い境内です、人が少なく落ち着く場所です。
楠木正行公の幼い頃の像があり涙を誘います。
二年前に端午の節句を祝うお守り買いました。
家族連れで参りました。
感謝。
いい俳句詠みながら暮らすとは、俳句の神様が味方してくれた。
郵便番号にちなみますか。
悲しい楠木正行さまが吟行の俳句の神様ならば負け戦も潔よく。
ありがとうございます。
楠木正成の息子、楠木正行が主祭神。
南北朝動乱の悲劇の主人公だ。
なにひとつ報われることなく、ただ南朝の為にだけ戦った親子の像が哀しい。
後醍醐帝は時代の流れが読めなかった。
そして幾多の人が虚しく消えていく。
南朝が正統と認められたのは明治になってからだ。
1890年、四條畷神社は創建される。
正成や正行は、後世の人が自分たちの為に、この美しい神社を建ててくれたのを知っているだろうか?彼らの純粋なる思いや奮闘は、やっと叶えられたのだ。
飯盛山直下にある神社は静謐、飯盛山山頂にある正行の立像は、微風のそよぐ中、爽やかで果敢なる姿だ。
名前 |
四條畷神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-876-0044 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
私自身がお宮参りをした神社です。
年に一度訪れるようにしています。