この場所は風の強い日が多いです。
函館を眺めているのでしょう。
啄木は明治40年の5-9月の約半年だけ住んでいただけですが、この地を好きになり、遺言?で「死ぬ時は函館で...」と希望したと案内看板に記載が有りました。
感動しました🥹
岩手県民でしたが、恥ずかしながら石川啄木のお墓がここにあることを知りませんでした。
旅の途中で函館に訪問した際、沿岸を自転車で走っていたところ地元の詩人の墓を偶然見つけるなど。
岬へ向かう途中にさりげなくあります。
石川啄木一族のお墓が立待岬への途中に見られます😊
素晴らしい場所にありました。
1986/8/14来訪。
「死ぬときは函館で・・・」と言った啄木の墓は、立待岬への途中の海が見える共同墓地内にある。
墓碑に「東海の小島の磯の白浜に われ泣きぬれて蟹とたはむる」と刻まれている。
かたわらには啄木を支えた親友宮崎郁雨の「蹣跚と夜道をたどる淋しさよ 酒はひとりし飲むものならず」の歌碑も。
静かにお参りさせていただきました。
石川啄木と函館の地が繋がっている聖地に佇む(*´∀`*)
立待岬に向かう道脇にあります。
かなりの高地で函館市街が眺められます。
この場所は一方通行の細い道路沿いにあり、駐車場も無いので注意が必要です。
石川啄木一族の墓です。
石川啄木自体は、函館には数年しかいなかったらしいですが、大層函館を気に入ってたそうです。
3人も子供がいたこと、そして夭逝とは聞いていたがわずか27歳だったことは意外だった。
函館湾を眺められて気持ちのいいところで眠ってます。
啄木も函館が好きだったんでしょうね。
啄木は東京で没していますが、本人の強い希望でこの地に葬られています。
その後家族の遺骨もここに収められたのだとか。
この場所は風の強い日が多いです。
天気のいい日は本州(下北半島)を見る事ができます。
路上駐車の際は、この場所が傾斜地である事をお忘れなく。
啄木の壮絶な短い人生を想像させる場所。
短い期間ではあったが最愛の家族と一緒に暮らせた函館は、啄木にとって楽園のような場所だったに違いない。
While walking to Tachimachi Cape, I passed by the Ishikawa clan cemetery. Talk about a graveyard with a view. I was surprised by how beautiful the scenery looked here.
バイクなら、すぐ近くに停めれるけど、四輪は上の駐車場に停めて歩かないとスペースがない。
立待岬に行く途中にあります。
石垣の上にあるのが、石川啄木一族の御墓です。
啄木は結核で亡くなったのですが、奧さんも同じ結核で亡くなっています。
子供達は祖父母に育てられたと思います。
歌碑が有ります。
(東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれてかにとたわむる)切ないです。
勿論、花を添えました。
名前 |
石川啄木一族の墓 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0138-21-3453 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
我が家のお墓の少し上にあります。
海が見えていいロケーションのお墓だとおもいます。