名前 |
羽黒神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0172-52-5516 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
青森県黒石市浅瀬石清川に鎮座する羽黒神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
御由緒は延暦13年(794年)、平安京遷都の年に坂上田村麻呂により勧請され、寛治7年(1093年)に八幡太郎源義家が守兵を遣わせ国家安泰、武運長久を祈ったと伝えられています。
建長4年(1252年)には、当時閉伊郡であった現在の岩手県遠野市から移り住み、浅石城主初代となった千徳行重が神社を再興。
それ以来千徳家が代々厚い信仰を寄せ、しばしば御社殿を修築し、田村羽黒宮と尊称し領内第一の大社として殷賑を極めました。
しかし慶長2年(1597年)、当初は同盟関係にあった大浦為信(津軽為信)が津軽統一を掲げ浅石城を攻め落城。
そのときに羽黒神社も灰塵に帰したが、同4年に大浦為信(津軽為信)により再建され浅瀬石村の氏神と定められた。
当初の鎮座地は、現在の東北道黒石IC南東に位置する旧浅石城寺社屋敷域であった為、宝永7年(1710年)に村落のなかにある現在地に奉遷された。
明治3年(1870年)に羽黒神社に改称し、高賀野村八幡宮を合祀し旧浅瀬石村の村社となり現在に至ります。
御朱印には「津軽じょんから節のふるさと」と書かれている通り、伝説ではこの浅瀬石の地で「津軽じょんから節」は誕生したと言われている。
大浦為信(津軽為信)の浅石城攻めで、当時の城主てある千徳政氏は討たれ、そのまま為信は千徳氏代々の墓も暴こうとした。
しかしそれを千徳氏の菩提寺である神宗寺の僧侶・常縁が止めようとしたが終始敵わず。
為信に追われ、結果浅瀬石川の河原から身を投げることになった。
このとき身を投げた河原を「常縁河原」と呼ぶようになり、その後「上河原」に変化。
この常縁の物語を口説唄としたものが「上河原節」となり、更に「じょんから節」と呼ばれるようになったとのことです。
こちらの神社の御朱印を頂くには、神社内にピンポンがあるのでそれを押します。
すると、社隣のお宅から御婦人が出てきてくださり、御朱印を書くために御朱印帳を受け取ってくださいます。
そのまま待っていると、再び御朱印帳を渡しにまた出てくださいます。
時間は10分くらい待ったような気がします。
またこちらの神社では、温湯の白山姫神社の御朱印を直書きで頂くことが出来ます(書き置きであれば、同じく温湯の津軽伝承工芸館で頂くことが可能)。
最寄り駅は弘南鉄道弘南線の黒石駅ではありますが、徒歩50分弱かかります。
路線バスで訪れるにもちょっと微妙。
東北道の黒石ICが近いのがせめてもの救いかな…。