ゴジュウカラ、アオゲラorヤマゲラ観ました。
1869年に五稜郭を援護する支城として築城されました。
四隅に砲台を備えられていますが、規模的には、土塁が東西100m南北70m高さ3mとそれほどの防御力はなかったと推測されます。
五稜郭は有名だが、こちらの四稜郭は人気のない公園のようになっていた。
土を盛った壕やカラ堀がしっかりとした形で残され、こちらもかなり重要な歴史的な遺構だと思う。
土塁の規模は小さいですがとても良く整備されていて見やすいです。
駐車場もトイレも完備されています。
五稜郭に比べると圧倒的に知名度のないこちらですが、箱館戦争を勉強してから、いつかは行ってみたいと思っていました。
函館駅からバスで30分+徒歩30分と旅行者には行きづらい場所です。
地元の方に歩いて行ってきたと話すと驚かれました。
地元の方の憩いの場になっており、闘いの面影はないです。
ちょうど八重桜が満開で綺麗でした。
冬なので真っ白だった。
こじんまりとしている。
これで新政府軍を迎えうとうなど不安だっただろう。
近所の人が入れ替わり立ち代わり犬の散歩で訪れていた。
最寄の四稜郭バス停や四稜郭入口バス停は本数も少ないが三十分も歩かないところに赤川入口バス停が一時間に一本程度の本数がある。
市電バス1日乗車券も利用できるバス停なので良いと思う。
五稜郭と一転して人気無し。
トイレはあるけど、これを面白いと思うかはその人の趣味に左右されるかもです。
当時の土類が思いの外しっかり残っておりびっくり。
正直かなりしょぼいスポットだが、旧幕府軍が一生懸命に戦おうとした想いを感じられる……かも?
五稜郭があるなら四稜郭もあるようでして、砲台跡だったようです。
今は一面の草だけで、特に何かあるわけではありません。
車がないと行きにくいなぁ。
桜の木が多くあり、花見にはもってこいかもしれません。
観光地化されている五稜郭と比べて、とってもシンプルですが、当時を戦い抜いた人達の真剣さに敬服させられます。
五稜郭の背後を固めるために急造された四稜郭。
近所の人たちが愛犬を連れて散歩をする姿が多かったです。
五稜郭と比べるととても小さいのであまり期待をしていかないで歴史をしるという切り口で行かれたら良いでしょう。
2021.05.12 八重桜が満開でした。
東屋があり水飲み場もありました。
入口の駐車場横には芝桜が満開でした。
五稜郭のついでに四稜郭も行ってみたら?なぜ作られたか分かります。
函館の歴史をあらためて知ることができます。
箱館戦争の際に五稜郭の防衛のため急遽造られた台場ですが、台場と五稜郭の間を分断される可能性が大きくなったため放棄されました。
建造物はなく土塁のみだったと説明されていました。
比較的良く保存されていると感じました。
これからも適切な保存を期待します。
五稜郭は有名ですが、四稜郭があることは知りませんでした。
函館のパンフレットで見かけて行ってみてあまり知られていない歴史にふれて当時の事に思い巡らすきっかけになりました。
主だった函館の観光に飽きた方は行ってみたらいいかと思います。
案外知られていな四稜郭です。
整備はされていて公園的なポジションかと⁉️期待していくと撃沈的な規模か⁉️
2020/08/27 コサメビタキ、ゴジュウカラ、アオゲラorヤマゲラ観ました。
もう少しいると思います。
双眼鏡ではなく目視で確認。
野鳥が沢山いる。
城好きのかたはチェックしてみても良いかも。
建築物等はありませんが、五稜郭を四角形にしたような形状は見て取れます。
史跡としての価値は高いですが、相当の城好き、戦史好きでないと楽しめないと思います。
蝦夷共和国が、同様の五稜郭を支援する為に急造した城の一つ。
明治2年に大鳥圭介、もしくはブリュネ大尉の指揮の元、蝦夷共和国兵卒200人、近隣の住民100人で、短期間の内に造られた堡塁と空壕で構成された城である。
入口は二重に堡塁が積まれ、直接の銃撃を受けない工夫がされている。
蝶の羽を拡げた様な堡塁の四隅(東西100m.南北70m)には、スロープが設けられ、大砲が設置された。
五稜郭を側面から砲撃支援し、進軍してくる相手へは、巾2.7m深さ0.9mの空壕で足止めを食わせ、高さ3mの隣接する堡塁上から銃撃を浴びせ、殲滅する予定だったのだろう。
しかし、長期籠城に必要な井戸が無く、手狭だったため、実際の戦闘でも、五稜郭との分断を恐れて、撤退放棄されている。
想像以上に狭いです。
土塁を築いて弾雨から身を守る施設です。
防御力が弱い印象を受けますが、名前の通り四稜郭を体験できます。
五稜郭からはタクシーで1500円程です。
戊辰戦争最期に思いを馳せられる施設です。
五稜郭と比べるとこじんまりしていますが、土塁、空堀、稜堡が確認出来ます。
きれいに整備されてありました。
気になって行ってみましたが、土が盛られているだけでよく分かりません。
綺麗に手入れされてますが何もないです。
google mapなど、上空から見ると全貌がわかるのかも。
五稜郭とセットで観光地に出来るといいかもしれませんが。
国の史跡です。
五稜郭よりも格段に小さく実戦に役立つとは思えません。
戊辰戦争150周年記念みなみ北海道最後の武士達の物語モバイルスタンプラリーで訪れました。
今もなおハッキリと四稜郭の跡が盛られてあり大切に保存されていました。
①箱館戦争の舞台の一つ。
②説明文より→1868(明治元)年10月に五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は,新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築きましたが,五稜郭の鎮守である北海道東照宮を守るため,五稜郭の北方約3kmの函館を一望できる緩斜面台地にも洋式の台場「四稜郭」を急造しました。
四稜郭は,蝶が羽を広げたような形の堡塁で,東西約100m南北約70mの範囲に,幅5.4m高さ約3mの土塁が巡り,その周囲には幅2.7m深さ0.9mの空濠が掘られています。
また,土塁の南西側には門口が設けられ,郭内(面積約2,300平方メートル)の四隅には砲座が配置されていますが,建物は造られませんでした。
地元の言い伝えによると,旧幕府脱走軍は士卒役200名と付近の住民約100名を動員して,昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させたといわれています。
1869(明治2)年5月11日,新政府軍は箱館総攻撃を開始しました。
松岡四郎次郎率いる旧幕府脱走軍は四稜郭の防御に努めましたが,新政府軍には福山藩兵も加わり,さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため,退路を断たれることを恐れ五稜郭方面へと退却しました。
同年5月18日には旧幕府脱走軍の榎本武揚以下が降伏し,箱館戦争は終わりました。
桜の名所ですね(^^)高台にあるので…函館の山々の爽風が掛けぬけて気持ちが…エエ。
五稜郭の人混みの雑踏の中より…良いですよ。
有名な五稜郭とは全く別の物。
市民の手で保存されている史跡です。
ぶっちゃけ「ふ一ん」って感じ。
でも、―応見ておくと良いかな、物知り的な感じで。
非公認ですが、別の所に三稜郭ってのも有るらしいです。
(ググルと出て来ます。
)
五稜郭と違いこちらは土塁で築かれいます。
高台にあり函館市街を一望出来ます。
ジョギングなどにはもってこいではないでしょうか。
ロマンチストな方々が晴れた夜に星を見に行くには最高の場所だろうなと思った。
ただ、昼は歴史とかに興味なければあまり面白い場所じゃないよ。
広大な広場に四角形に土盛りしたような城跡でした。
でもここで幕府軍が五稜郭を援護して立てこもっていたと思うと、あまりにも貧弱な要塞だなぁと思いました。
高台にあるため、函館市街を眺められます。
ちょっと微妙でした・・・。
市民の方らしき子連れの集団が土塁を荒らしているので「あれ?大事にされてないの?」ともやもや。
注意書きもされていましたが無視されているようでした。
悲しい。
正直、予備知識なしで観るとただの盛り土なので、なんかこう、もうちょっと大事にされてたらよかったのになー、と思いました。
現段階では盛り土、観る価値微妙、以上です。
名前 |
四稜郭跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0138-21-3472 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
前から気になっていた「四稜郭」。
函館新外環道路の赤川インターが出来て以来、そこで乗り降りする度に気になってたのですが今回初めて訪れる事が出来ました。
箱館戦争時に急ごしらえで作られた陣地のひとつだそうで、150年程前のものなのだそうな。
今回、大雪が降ったあとに函館に来ていたので、写真のような雪景色、最高でした。
普段は関西の瀬戸内海側に住んでいるので雪が積もるなんて10年に一度あるかないか。
たまには雪を見たくなるけれどあまりに豪雪だと歩くのもしんどいので函館くらいの積雪量がちょうど良い、って感じですね。
本当に何も残ってない盛り土だけの遺構でしたが、ここに立って心を真っ白にすると当時の榎本武揚の気分になれるかも。