応神天皇の父親にあたる14代仲哀天皇陵。
仲哀天皇の墓とされてますが、おそらく違うでしょう。
堀幅が広く周りが民家なので正面以外は見る事も難しく駐車場などもありません。
もっと観光資材として活用する事を願うばかりです。
中は手付かずの森となっており神秘さが伺えました。
ヤマトタケルを父とする第14代天皇である仲哀天皇陵とされている前方後円墳。
熊襲討伐のため筑紫遠征中に熊襲の矢に撃たれ筑紫で崩御し、穴門(今の山口県下関市)に埋葬されたとあり、被葬者が仲哀天皇かは定かでないと言う説もあるそうです…中規模の古墳で宮内庁管理だけあって陵や周辺は綺麗に管理されていました。
周辺を歩くと前方後円だと言うのが分かります近鉄南大阪線藤井寺駅から15分程歩くか御陵前まで近鉄バスが便利です。
仲哀天皇の古墳です。
父親はあの有名で、実在性の低いとされる英雄の大和武尊で、皇后は、三韓征伐で名を馳せた神功皇后、子供は河内王朝の始祖とされる伝説的な応神天皇です。
大和武尊、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、全員が日本神話の中の人物の話で、実在しない可能性が強くあります。
この仲哀天皇陵も、考古学的には子供の応神天皇とされる古墳の後に築造されたものであり、年代的に矛盾があり、仲哀天皇が実在しても、本人の古墳では無いでしょう。
世界遺産・古市古墳群を構成する古墳のひとつで、国内16位の規模を持つ前方後円墳。
5世紀末の築造と推定されている。
実在したかどうか疑問視されている第14代仲哀天皇の恵我長野西陵に治定されているが、実際の被葬者は明らかではなく、最近では第21代雄略天皇、あるいは倭王武の御陵とする説が有力視されている。
中世以来、古墳全体が城郭として利用されたことが知られ、大坂の陣でも豊臣方の拠点が置かれていたとする説がある。
宮内庁が管理する墳墓だが、墳丘裾や周辺は宮内庁、大阪府、藤井寺市が発掘調査し、埴輪列や埴輪片が見つかっているが、埋葬施設や副葬品は不明。
21/01/18、葛井寺、野中寺、辛国神社をお参りした際に陵のお堀を一巡りしたが、水鳥が遊ぶお堀のそばから遠くに生駒山が見えた。
これだけのものなので、被葬者は絶大な権力者だったのだろう。
被葬者:第14代・仲哀天皇実際の被葬者は明らかにされていませんが、第14代・仲哀天皇の陵と伝えられています。
ですが、現在は第21代・雄略天皇や、同天皇と同一視される倭王武の陵とする説もあります。
出土された埴輪により、5世紀末葉頃の築造と推定されています。
拝:2020/07/07
なかなかの規模の陵墓。
城跡探訪の一環で訪れたものの宮内庁管轄につき当然立入禁止なんで外部から目視で確認するもやはり遺構は見当たらなかった。
周囲のお濠の規模がでかいので城やら砦として利用した先人の気持ちはわからなくもないな。
仲哀天皇陵として知られています。
室町時代は城郭として使われていたとのこと。
城名は不明。
大坂夏の陣では、大阪方が陣を構えた可能性もあるようです。
とすれば、真田幸村が関連してる可能性もありますね。
第14代仲哀天皇(チュウアイ)の陵墓として宮内庁により治定され、墳丘245m、岡ミサンザイ古墳とも言われています。
仲哀天皇は「倭の五王」であるが、急死した天皇で、実在性を疑問視されたり、滅亡した古代王朝の最後ではないかとも言われています。
三韓遠征を行った神功皇后の夫と説明する方が、分かりやすいかもしれません。
周辺から5世紀末の埴輪が出土し、この時代で最大の規模を誇ります。
このため4世紀半ばとされる仲哀天皇(系譜上は応神天皇の父)の墓ではありえず、雄略天皇の陵にふさわしいとの見方が強くなっています。
濠は良く残り、美しい風景を楽しめる古墳です。
墳形は前方後円形で、前方部を南南西方に向ける。
墳丘は元は3段築成と見られるが、修陵の際に5段に改変されている。
墳丘長は245メートルを測るが、これは古市古墳群では誉田御廟山古墳(羽曳野市誉田、現・応神天皇陵)・仲津山古墳(藤井寺市沢田、現・仲姫命陵)に次ぐ第3位、全国では第16位の規模になる。
墳丘表面では埴輪片が検出されている一方、葺石は認められていない。
墳丘くびれ部東側には造出を有する。
かなり巨大な天皇陵だが、周囲からは全容が一望できそうなところがないのが残念。
遥拝所は南側にある。
墳丘長242mの前方後円墳、築造時期は5世紀後半と推定。
墳丘は、室町時代に築城され、幕末にも手が加えられているようで、実際の形は今と多少異なるらしい。
そういえば、安閑天皇陵も室町時代に城が造られていたんだよな。
黒姫山古墳も城が築かれていたらしい。
全国の古墳を見ても戦乱の時代にはよく古墳に城を造っていたみたい。
まぁ、そういった事件も含めて歴史的遺産ということかも。
前方後円墳で天皇陵に指定されているこの古墳は宮内庁によって管理されているので立入はできません。
濠には水が張り巡らされています。
また、古墳正面には拝所もあります。
応神天皇の父親にあたる14代仲哀天皇陵。
ただ時代的には、応神天皇陵より後に造られている為、安康陵、又は雄略陵の可能性の方が高いそうです。
名前 |
岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇 恵我長野西陵) |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
2月の中旬に訪れましたが、梅の花が綺麗に咲き始めていました。
近くにある学習センターアイセルシュラホールの駐車場に車を停めて、中にある歴史展示コーナーを見学してから、古墳まで徒歩で向かいました。
こちらの古墳には周囲を歩く遊歩道が一部しかありませんでしたが、静かでとても清々しい時間を過ごすことができました。