続100名城スタンプラリーで訪問。
海に面した山城で、眺望が非常に良かったです。
土塁で仕切られた曲輪がよくわかるよう整備されています。
2022.11.26の訪問。
案内所から登った先の内館地区の各所にいくつもの曲輪・土塁・空堀・堅堀・井戸跡などの遺構が確認できます。
東側には城下町が西側には船川が望めます。
国道101号から菅原神社 一之鳥居横の駐車場に入り、細い道を対向車が無い事を祈りながらハイエースワイドで進行しました。
菅原神社 ニ之鳥居前に駐車スペースがありますが、史跡脇本城跡案内所の所まで前進しました。
少し開けた所に史跡脇本城跡案内所が有り、スタンプとパンフレットが備えられていました。
入城記録帳が有りましたので、早朝でも有り、熊に襲われた場合を想定して記帳しました坂を登り開けた所に曲輪、土塁、空堀、井戸跡等があり、天気が良ければじっくり散策したい所でした。
続100名城の一つ。
国道101号線際の駐車場には、「祝 続100名城認定」と書かれた大きな看板がある。
看板左手の道(通称天下道と呼ばれる)を上って行くと、城跡の主郭にたどり着く。
しかしそこに広がる草原は城の10分の一程度に過ぎず、ここから北東方向にJR男鹿線近くまで大きく広がる、東北の中でも最大級の山城がここにあった。
秋田中央から北部を収めていた安東氏の居城であり、1580年後半の湊合戦の戦場にもなった。
1590年頃の廃城令により歴史から姿を消すこととなった。
脇本駅からはバスもあるが本数が非常に少なく、かつ国道101号線と県道226号線の交わるポイントあたりまでしか行けない。
そのため駅からの徒歩が有力で、早歩きでも片道2.3km、約20分前後掛かる。
真夏の炎天下の訪城だったので汗だくになりました。
城跡からのロケーションは最高でした。
城跡でしか活用されてないのが勿体無いと感じるほどの見晴らしの良い気持ちの良い場所でした。
誰もいなくて自然を感じる事のできる場所でした。
ぬかるんでいるところが多々あったため、注意が必要です。
Apr'14.2021 散策並びに画像撮影。
昔より安倍貞任の叛乱と、事後に三男宗任が瀬戸内に配流されて、元首相に繋がる安倍氏を成したことが気になってはいた。
いざ秋田に帰ると、その傍流を名乗る安東氏(のちの湊氏、秋田氏)の資料を読んでいくうちに、どうしてもこれは見なければ、という事で天気良い日を選んで伺った。
以下転載海に突き出た生鼻崎(おいばなさき)の上、海抜100m前後の丘陵地に広がる中世の城跡です。
脇本城は古くから男鹿半島を掌握する要害の地で、戦国時代の天正5年(1577年)に、時の支配者であった安東愛季によって整備されました。
その面積は約140ha、規模としては東北最大級といわれています。
現在、国指定史跡に指定されています。
城好きにはたまらない山城跡です。
広い。
海が見えて眺めは良い。
続日本100名城。
続100名城スタンプラリーで訪問。
駅からは歩いて30分くらいはかかったと思います。
スタンプはガイダンス施設にて押印。
土塁、空堀など遺構がわかりやすかったです。
城跡からの眺めが素晴らしかった。
この城は戦国期に檜山と湊に別れていた安東氏を統一した安東(秋田)愛季が、標高100メートルの台地上に会った城を改修して居城とした城です。
愛季の跡を継いだ秋田実季が湊城に居城を移し、佐竹氏時代に廃城となったと推定されています。
脇本城の南にある案内所まで車で上れ、そこから少し山を登れば、木が斬られて公園として整備された、各曲輪や土塁、空堀、堅堀等を散策する事ができます。
また城からの日本海の眺めも絶景で、入城料は無料、案内所前に無料駐車場もあります。
町中から離れているとはいえ、これだけの規模の城跡遺構が当時と変わらず残っている。
素晴らしい!
国指定史跡脇本城跡秋田県男鹿市にある標高110m(比高100m)の山城で秋田の城館では最大規模。
安東三城(檜山城・脇本城・湊城)のひとつで天正5年(1577年)安東愛季(ちかすえ)が大規模な改修を行い居城としました。
天正18年(1591年)秀吉による奥州仕置後から佐竹氏による久保田城築城の間に、廃城になったようです。
現在、城址には多数の曲輪、土塁、空堀、井戸跡、虎口などの遺構があり、雄大な日本海を一望できます。
2004年に国の史跡に指定。
2017年続日本100名城に選定されました。
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脇本城(わきもとじょう)は秋田県男鹿市にある中世の日本の城(山城)跡。
国の史跡。
中世に安東氏の居城となった。
創建時期は不明。
天正5年(1577年)、檜山、湊の両安東氏を統一した安東愛季が、大規模な改修を行い、居城とした。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置から慶長7年(1602年)の佐竹氏による久保田城築城の間に、廃城になったと思われる。
城跡は平成16年(2004年)に国の史跡に指定された。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(106番)に選定された。
続100名城のひとつ。
スタンプは途上の脇本城跡案内所に設置されています。
国道101号線を西に、男鹿半島を進んでいくと右手(北側)に脇本城跡と書かれた看板があり、そこに駐車することもができますし、鳥居の脇の道を車でしばらく登り、城跡案内所前に駐車することも可能です。
秋田市内方面から向かうと、途中でなまはげの巨大な人形を通り過ぎて向かうこととなります。
遺構としては土塁や竪堀、空堀のはっきりとした跡があるぐらいで、建物は残っていません。
郭や堀ごとに、説明書きがあります。
典型的な中世の山城、といった趣で、城郭の規模は大きく、ほどよい運動になります。
u001dパンフレットはPDFで、ウェブサイトからダウンロードすることもできます。
見どころは遺構のみではなく、高台から眺める男鹿半島と海の景色が非常に美しい。
春から初夏に訪れると景色にとても感動できるはずです。
滞在時間の目安は、内館のあたりだけであれば1時間はかからず、馬乗り場地区まで足を伸ばして1.5時間程度になります。
眺望最高。
八郎潟と日本海が一望、城跡の保存状態もよかった。
行ってよかった。
気分爽快でした。
中世の山城。
綺麗に整備され土でつくられた城が良くわかる。
これからの季節、海風が強い。
駐車場からも比較的近く散策しやすい。
築城年代は定かではないようですが安東氏に関係あり中世から戦国時代終焉まで使われていたとされる城跡です。
約150haと大変広くてJR男鹿線近くまで史跡指定範囲が広がっています。
生鼻崎に迫り出した標高100m程の丘陵地の内館地区と馬乗り場地区が観光用に整備されています。
国道横の案内に従って坂を登って行くと駐車場と案内所が有りパンフレットやトイレも有りました。
そこからは徒歩で見て回ります。
曲輪や堀、土塁などの部分は木を取り払っているので本などで見る鳥海図のような風景と海上交通の監視的な機能を持っていたのでしょう大変見晴らしが良い風景が楽しめる所です。
脇本城跡すばらしい土塁と空堀管理していただいている方に感謝鳥海山の方まで見渡せます。
よく整備されています。
トレッキングに,散歩にいいですよ❗又見晴らしも最高です。
男鹿市に残る脇本城址。
戦国時代が終わると 徳川幕府のもと一国一城令により廃城となった。
今は文化遺産として遺構を残そうと管理される様になった。
散策すると安東氏最後とその200年ほど後に訪れた菅江真澄(すがえますみ)の語りを重ね見る。
放浪者とも紀行者とも言われる彼の語りと残した絵が、それからまた200年後の現在に放浪して訪ねた私の想像世界だが目に映る。
現代は 多くの情報を手早く得ることができ、自動車で手軽に訪れる事ができる。
大いに文明の利器を使ってワクワクした旅を続けたい。
太平城(脇本城)物語(男鹿)=真澄記 物語=慶長七年(1602年)のことである。
太平城(脇本城)の主である安部五郎友季(安東友季(ともすえ))、秋田の城介寛季(じょうのすけひろすえ)ともに互いに討とうと企てていた。
その仲の悪さは、「雄猪鼻(生鼻おいばな)の井戸水が枯れ果てたのは神の諭(さと)しだ。
」と人々に言わせたほどだった。
ある年、波の寄せる音かと聞こえたが、それはやがて鬨(とき)の声に変わった。
城介寛季が兵を出して太平城(脇本城)を囲んだのである。
友季は寸でのところで城を脱出した。
やがて、城介寛季の軍は、城に火を放って退いていった。
安部五郎友季(ともすえ)には、甲斐の国より来て友季(ともすえ)の仕えた男鹿の村の長、森本有全という忠臣がいた。
有全は「我が命に代えて君を守る」と友季(ともすえ)を屋敷奥深くかくまった。
やがて城介寛季の兵がまた押し寄せてきた。
「友季(ともすえ)を隠した者があれば、近隣の者も皆同罪として処罰する。
」との文をまいた。
男鹿の住人はとまどい、やがて友季(ともすえ)は「虜になって死すよりは」と腹をかい切って果てた。
森本有全は見つかったが、忠臣を評価され、この国を追われて甲斐の国へと帰っていった。
やがて城介寛季もこの太平城に移り住んだと言う。
近くに天満宮の祠がある。
友季(ともすえ)も寛季(じょうのすけひろすえ)も共にこの御神を朝な夕なに祈り、同じ海のかなたの光景を見ていたのだろう=真澄記 涌元の浦= 昔は湧元の浦と言って温泉が湧いていた。
今は絶え地名が残った。
小高い丘の戦場「太平城」跡を見た。
生い茂る草むらに埋もれていた。
近くに天満宮の祠がある。
侍どももこの御神を朝な夕なに祈り、海のかなたの光景を見ていたのだろう。
太平山が真向かいに見え、「太平城」の名をつけた訳がわかる。
天気が良い日は景色が最高です。
ただ、山城で草木が生い茂る所もあるので、服装等気をつけた方がいいと思います。
国道101号沿いに説明書と駐車場ありますここからの登城は慣れてないと、かなりキツイと思います。
城趾入り口までは車で登らる事をオススメします。
城趾が起伏あり入り口からも広大なため。
車であがると途中菅原神社の駐車場を過ぎ更に上が城趾駐車場です乗用車6台ほどの砂利駐車場で、トイレはありますが仮設タイプ1のみ城趾駐車場脇にプレハブの案内所があります。
無理案内人が、いらっしゃっるようでしたが、私が行った時には居ませんでした案内所は解放されてます。
炎天下の中を訪れたので、この広大さにさすがに疲れました。
館跡等があった場所のようで郭は土塁で仕切られているところが多く見られた。
馬乗り場地区は、内館地区から徒歩15分くらい離れ他場所にあり、途中いつつくのか不安になりながらたどり着くがこの時期、藪化がひどく、まったくわからないのが残念であった。
やはり秋頃が訪れるには最適なのでしょう。
天気の良い日は見晴らし最高!ちと風強いですが、歴史の流れに思いを馳せてウットリ(*´∀`*)整備しっかりされてます、感謝感謝。
名前 |
脇本城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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東北最大級の山城で、上に行けば良い眺めです。
管理施設まで、車で行けるので、1時間ほどあれば、ゆっくり見学出来ます。
管理施設の駐車場は、3、4台停められ、トイレもあります。