本殿及び、藤井寺市指定有形文化財の石灯篭を、拝観、...
宮司さんが、優しい方で、本殿及び、藤井寺市指定有形文化財の石灯篭を、拝観、撮影させて頂きました。
近所の神社です😌💓秋祭りには地車で町内を練り廻し賑やかです🎵落ちついた佇まいの神社です。
末社含めると多くの祭神が祀られていますミニ公園が併設されているので結構広い。
延喜式神名帳の河内國志紀郡の項に記載のある式内社。
現在の御祭神は天御中主尊・天照大神・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩大神となっているが、境内の案内石板によると、「「神名帳考証」には稲霊を祭る」とある。
この案内石板には「古傳には神武天皇の御子、神八井耳命のかくし廟といわれ仁徳天皇の御代に瑞垣を建立し、祭祀されたという」とある。
現在の御祭神ラインナップは中臣氏系であるが、それは8世紀以降、この地は中臣氏の支配下にあったことによるもので、それ以前は神八井耳命を祖神とする志貴県主一族が支配していた地で間違いないだろう。
それは当地が古代、志紀郡と呼ばれ、この神社の南200mぐらいのところには河内國総社という式内社の志貴県主神社があり、さらに北西1キロぐらいには同じく式内社の志疑神社が鎮座することでも明らかである。
そして志貴県主神社は神八井耳命を主祭神とし、そのほか中臣氏系の神々を祀っている。
志疑神社は現在素戔嗚尊となっているが、それは戦国時代のことで、当初の御祭神は神八井耳命ではないだろうか。
黒田神社や志貴県主神社のあるこの辺りは古代、志貴県と呼ばれる朝廷直轄地で、その管理は志貴県主一族が行っていた。
それにしても、神八井耳命のかくし廟というのが気になる。
この付近は国府(こう)複合遺跡という有数の複合遺跡で、縄文以前の人骨、その後、縄文人・弥生人の墓地、河内国府跡、白鳳期の寺院跡が発見されている。
少し南には5世紀中頃の允恭天皇恵我長野北陵があり、長尾街道も今の位置よりもう少し北を通っていて、この付近は河内の中心地であった。
神社の鳥居の右にある「黒田神社ご縁起」によれば、かつては境内内に五千坪以上の敷地を有し、梅の名所とされていたとのこと。
今でも十分に広いけどね。
わりと大きな神社で、たまたま歩いていたら、大きな山車が道路を渡り神社の方へ。
雨よけか、山車は神社のなかでビニールのカバーを若い男性達が外していたので、ここも秋祭りかなあと。
テントをはり準備されていたようでした。
とても立派な大きな山車でした。
落ち着きます。
最高のパワースポットです。
【黒田神社】(くろだじんじゃ)藤井寺市黒田神社は延喜式神名帳に河内国・志紀郡鎮座と記載される式内小社です。
社伝によると神武天皇の御子の神八耳命のかくし廟所といわれ、仁徳天皇の時に玉垣を建立し祭祀したとあります。
藤原氏系図によると、藤原鎌足の4世代前の祖人が黒田大連です。
黒田神社は、その黒田大連に係る人が、藤原氏・中臣の祖人を祀った神社とも考えられています。
黒田大連は古くは雄略天皇の御代に但馬国造を務め、和銅年間(710年)には長浜・木之本の地を開拓し黒田郷として繁栄したそうです。
黒田神社の北の大和川の川底には船橋遺跡があり、付近からは弥生土器が出土します。
古代にこの地に住み着いた渡来人「呉人」の田が黒田に転訛したとの説もあるそうです。
住所:大阪府藤井寺市北条町1-23
今、優馬の家。
今、優馬の家
名前 |
黒田神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-939-6738 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai11shibu/fujiidera-city/11028kurodajinja.html |
評価 |
4.0 |
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北条馬場公園2年ぶりに訪ねました!ついで参りでご免なさい!ツツジ咲き蝶々舞い綺麗な神社でした!蜂も居たね☺️