墓石には六無斉と刻まれています。
『三国通覧図説』、『海国兵談』等を著わし、世に先んじて海防の必要を唱え、そのため幕府から罰せられた林子平の事蹟は天下に有名である。
寛政5年(1793)6月56才で幽閉中歹病歿し、北山の龍雲院に葬られたが、罪人のため墓は建てられなかった。
その後天保12年(1841)に赦免され、翌天保13年に甥の珍平によって墓碑が建てられた。
現在、墓碑は宝形造瓦葺の覆屋によって風雨から保護されており、覆屋の前面には伊藤博文、大槻文彦寄贈の顕彰碑が建ち、子平の偉業をたたえている。
墓石には六無斉と刻まれています。
同じ境内に万城目正の墓があります。
名前 |
林子平の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/kuni-siseki04.html |
評価 |
3.9 |
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号・六無斎(ろくむさい)「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」