しかし本来の形は未だ不明となっています。
双円墳みたいな形をしていますが築造当時はそうではなく、しかし本来の形は未だ不明となっています。
応神天皇陵陪塚へ号飛地となっていますが、距離的に陪塚では無い可能性が高いです。
見つかった円筒埴輪から、築造時期は5世紀後半と考えられています。
5世紀後半。
双円墳状に見えるが本来の形は不明。
陪塚かな??
国道170号外環状線、西古室交差点を西に300メートルぐらい進んだ通り沿いの右手にフェンスに囲まれた状態であります。
墳形が?です。
変形してるでしょうし…前方後円墳に見えないこともないかぁ…応神天皇陵の陪冢扱いの為、古墳への立入りはできないです。
こちらから100メートル南に、ロータリー状態で保存されている番所山古墳もあります。
▪️現存する「蕃所山古墳」と消滅した3基 とともに一つの古墳群を構成していた とのことで、陪塚は誤りだったと~。
▪️アクセス 近鉄南大阪線/藤井寺駅より、近鉄バス 羽曳野線(四天王寺大学行)藤ヶ丘下車 徒歩5分弱。
深い緑に覆われ 絶滅危惧種のヒメボタルが 棲息する。
誉田八幡宮が 管理していたので盗掘の心配もなかった。
住宅地に、囲まれた不思議な古墳でしょうか?実に、私事わからない古墳です。
円憤丘古墳でしょうか?何かと、付けた古墳です。
知らないとまず通り過ぎてしまう小さな古墳。
道路沿いにあり古墳周囲は小さな公園のように整備されています。
看板などもありませんが、東側に応神天皇陵の陪冢であることを示す宮内庁の石碑が立っています。
応神天皇陵の陪冢として宮内庁が管理している。
墳丘が少し曲がってるように見えるのだが。
一番小さな古墳とか聞きました。
言われてみないと通り過ぎてしまいそう。
藤が丘に点在する小型古墳のひとつ。
蕃上山古墳、サンド山古墳などがある。
応神天皇陵などの陪塚でないとしたら、もともとこのあたりの豪族?ヤマト政権に吸収され、巨大古墳造りに駆り出された首長たち?なんて、勝手な想像でした。
名前 |
サンド山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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墳形不明の古墳です。
今は円墳が2基並んでいるような形状をしていますが、昔からこうなっているようです。
恐らく歩道の植栽が少し減ったので、古墳の全景を収めることが出来ました。
因みにこの古墳は応神天皇陵の陪冢(宮内庁指定)です。