明治初期の貴重な建物のようでした。
初代仙台区長(現在の仙台市長)だった、松倉恂氏の茶室で、移築、復元されたものです。
松倉 恂氏は、幕末仙台藩の重臣で開国派、薩長同盟に対する主戦派でした。
戊辰戦争後は家財欠所、家跡没収の処分を受けましたが、福澤諭吉の明治政府へのとりなしで助命されています。
初代仙台区長(現在の仙台市長)に就任し、仙台市の発展に貢献されたそうです。
名前が示すように、仙台市が指定した文化財です。
博物館の入り口に直行しないと、最後に生垣に囲まれたこの建物が見えます。
周囲の庭園も有名ですが、建物自体は小さくて面白いです。
ドアが開いている場合もありますが、規格によって何が開いているかわかりません。
(原文)Kiel la nomo sugestas, ĝi estas kultura posedaĵo nomumita de Sendai Urbo. Se vi ne iros rekte al la enirejo de la muzeo, vi vidos ĉi tiun konstruaĵon ĉirkaŭitan de heĝoj ĉe la fino. La ĉirkaŭaj ĝardenoj ankaŭ estas elstara, sed la konstruaĵo mem estas malgranda kaj interesa. Estas tempoj kiam la pordo estas malfermita, sed vi ne scias, kio malfermiĝas laŭ la normo.
明治中期の書院風茶室として保存状態がよく貴重だそうです。
中は覗けませんでした。
戦国時代の建物ではありません。
旧姉歯家茶室は,四畳半の畳敷の茶室を中心に,水屋,台所,縁が付き,屋根は寄棟造鉄板葺となっている。
扁「残月亭」1面が附指定されている。
姉歯家から仙台市に寄付されて仙台市博物館の敷地内に解体移築した際の調査により,補修された痕が見られるが,ほぼ創建当時の遺構をよく残しており,保存状態はよく,部材の一部は,痕跡や様式の点から江戸時代までさかのぼる古材木を使用していることがわかった。
現在の茶室は,明治中期に初代の仙台区長となった松倉洵によって仙台市土樋の屋敷内に建てられ,その後姉歯家所有となって昭和初期と戦後の二度移築されたものである。
松倉洵の日誌によれば,この茶室を「残月亭」と命名するにあたり,伊達家当主に名称の使用と扁額の製作を願い出て,許可を受けている。
この扁額は,その裏銘によれば,正徳4年(1714)に第五代藩主伊達吉村が伊達政宗の筆跡になる残月亭の扁額を模刻したものを,明治27年(1894)に更に模刻したものである。
草庵風茶室としてより,書院風茶室としての性格が強く,仙台城ゆかりの茶室「残月亭」の名称を受け継いだ,保存状態良好な明治中期の書院風茶室の遺構として貴重である。
青葉城三の丸に後から立てられた。
初代仙台区長・松倉恂によって建てられたもの。
4畳半に、水屋、台所、縁がついた寄棟造りの書院風茶室で、かつて仙台城にあった「残月亭」
名前 |
茶室「残月亭」 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
明治初期の貴重な建物のようでした。