7月中旬に来訪紫陽花が綺麗でした。
感仙殿(二代忠宗公廟) / / .
参拝には瑞鳳殿の券が必要です。
2代目藩主伊達忠宗の霊屋。
1931年に国宝に指定されたが1945年に戦火で焼失し、1985年に再建された。
2015年7月訪問。
瑞宝寺、瑞鳳殿ときてこちらの感仙殿に至る。
豪華で綺麗です。
仙台二代藩主 伊達忠宗(ただむね)公(1599〜1658)の霊屋(たまや)「感仙殿(かんせんでん)」伊達忠宗は、慶長(けいちょう)4(1599)年大阪に生まれ、寛永(かんえい)13(1636)年、父 政宗の死去により38歳で二代藩主となります。
忠宗は錬成(れんせい)された人格と法治主義(ほうちしゅぎ)により、仙台藩の実質的な基礎を確立しました。
万治(まんじ)元(1658)年7月12日、60歳で仙台城にて没し、この経ヶ峯(きょうがみね)の地に埋葬(まいそう)されました。
霊屋(たまや) 感仙殿(かんせんでん)は、寛文4(1664)年 四代綱村(つなむら)の時代に竣工(しゅんこう)しました。
感仙殿は昭和6(1931)年に政宗公の霊屋 瑞鳳殿(ずいほうでん)と共に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年の戦災により焼失し、昭和60(1985)年に再建されました。
本殿左右の宝形印塔(ほうぎょういんとう)は、忠宗に殉死(じゅんし)した家臣12名、陪臣(ばいしん)4名の供養塔(くようとう)となっています。
と、立看板に書かれてあります✏️仙台観光シティループバス🚌「るーぷる仙台」で「瑞鳳殿前(ずいほうでんまえ)」バス停(仙台から約13分)下車、案内板に従って坂を登り、更に階段を上がると、観覧入口(チケット購入:大人¥570)→涅槃門(ねはんもん)→瑞鳳殿(ずいほうでん)→資料館→戊辰戦争弔魂碑(ぼしんせんそうちょうこんひ)と順路通りに見学すると、次に「感仙殿」が現れます。
感仙殿の並びには三代藩主 伊達綱宗(つなむね)公の霊屋「善応殿(ぜんのうでん)」があります❗️政宗公の瑞鳳殿、忠宗公の感仙殿、綱宗公の善応殿、どの廟屋(びょうおく)も、他の戦国大名と比べてとても豪華な廟屋だな〜と思いました❗️✨
伊達忠宗が眠ってます。
感仙殿も瑞鳳殿同様に豪華絢爛な建築です。
忠宗宗が多い。
仙台二代藩主である伊達忠宗(だてただむね)は、政宗の治世を引き継いで港湾の整備や新田開発など産業や経済の進行をはかり尽力した方です。
その方が眠るこの感仙殿(かんせんでん)は瑞鳳殿より西側へ少し歩いた場所に建立されています。
隣には仙台三代藩主である伊達綱宗(だてつなむね)が眠る善応殿(ぜんのうでん)が建立されており、瑞鳳殿と共にこちらも細かく見ていただくと、霊廟の違いに目を見張ります。
どれも荘厳な作りで、周辺には殉死された家臣などの供養塔や発掘に伴って出土した石碑(いしび)があります。
瑞鳳殿とよく似た建物です。
彫刻は、瑞鳳殿の正反対になっていました。
感仙殿までの登る階段周りにも灯籠があって雰囲気あります。
1945年に戦争で焼失し、今観られるのは1985年に再建されたものです。
綺麗に、掃き清められた感じで、気持ちよかったです。
素晴らしい。
俗な施設もなくいい雰囲気ですね。
伊達忠宗公の霊家。
瑞鳳殿と同じく国宝の建物は戦災に焼失。
回りのみどりに溶け込み綺麗です。
平成30年5月22日来訪。
とても綺麗な処でした、木々に囲まれていて、趣がありました。
莊嚴肅穆的環境,建築相當的美。
二代藩主忠宗廟綱宗廟。
殉死した家臣12名および陪臣4名がいた。
第二次世界大戦で焼失し、1985年(昭和60年)に再建された。
仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため、「守成の名君」と呼ばれていた。
検知の基準を全国と同じに統一したり、領内の余剰米を藩が買い上げ江戸に運んで売捌く買米制を実施する。
仙台城の政庁として使用するため二の丸を造営したほか、寺社建築も幅広く行い、政宗を祀るため瑞鳳殿・瑞鳳寺を建立、また東照宮を6年かけて勧請・遷宮した(仙台東照宮)。
再建する際調査が行われ、糸巻太刀、打刀、脇差、具足等戦国の色が濃き埋葬品が確認されている。
凛とした空気がある空間です。
名前 |
感仙殿(二代忠宗公廟) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
022-262-6250 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
7月中旬に来訪紫陽花が綺麗でした。