「のなかでら」ではなく「やちゅうじ」。
ウォーキングで訪れました。
聖徳太子ゆかりのお寺です。
雨上がりだったので、静寂でした。
仁王像も立派です。
別名「中の太子」、聖徳太子ゆかりの古寺です。
かつては広大な敷地に多くの伽藍と塔があり、僧侶の学校としても機能していたとか。
お庭には亀の頭部と足ひれの模様が刻まれた礎石が残っております。
毎月18日に秘仏の弥勒菩薩さまがご開帳になります(2021年9月10月は御出張のため中止)。
実物を間近にじっくり拝ませていただき(お寺さんの素晴らしいご厚意に感謝いたします)、その美しく、愛らしいお姿に本当に感動いたしました。
また、お会いしたくなる仏さまです。
山門の前の道(堺羽曳野線)がよく混むので、そこにお寺があるのは知っていましたが、今日初めてお参りさせていただきました。
山門を入ると、本堂までの空間が広く感じられます。
ろうそくたても線香立てもありません。
塔の礎石に亀の顔が。
ご本尊は18日だけ公開だとか。
聖徳太子ゆかりの中之太子と呼ばれる由緒ある御寺。
古代史の教科書のような寺。
飛鳥時代の伽藍配置に注目。
塔の真ん中の柱穴、よくみたら、亀型石造物。
中之太子。
歴史あるお寺。
18日に金銅の飛鳥仏(666年)の弥勒菩薩半跏像が拝観できます。
ご本尊は薬師如来。
聖徳太子所縁の由緒ある立派な御寺です。
「中の太子」とも呼ばれている古刹で、丹治道(後の竹内街道)沿いに南大門を構え七堂加覧を備えた第寺院でしたが、南北朝時代の兵火で、焼失したそうです。
江戸時代になり真言律宗の戒律道場として、本堂、薬師寺、経堂、鐘楼、地蔵堂、僧房などが再建されました。
境内の金堂跡など飛鳥時代の創建伽藍の一部が見られ、国の史跡に指定される程に、とても厳かな雰囲気を感じる事が出来ます。
境内裏の墓地の中には 「お染め、久松のお墓」が、在ります。
御朱印が、とても凛々しく 素敵の一言です。
2021/04/18御本尊の特別拝観日で参拝させていただきました。
境内には、野中寺塔跡の礎石や池西古墳石棺があります。
「やちゅうじ」と読む高野山真言宗のお寺。
別称「中之太子」で、聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ、蘇我馬子が開基した。
境内に残る礎石により飛鳥から奈良時代前半には大規模な伽藍があったことが明らか。
渡来系氏族・船氏の氏寺との説がある。
中世までの沿革は不明で、廃寺に近い状態ではなかったかと見られている。
1661年、政賢覚英和上、慈忍恵猛律師らによって再興されたが、火災に逢い、1724年、郡山藩主・柳澤吉里の寄進を受け、再建され、律宗の勧学院として栄え、明治中期に高野山真言宗に改宗した。
本尊は薬師如来だが、秘仏として非公開。
一方、1918年に寺の蔵から発見された金銅弥勒菩薩半跏像は飛鳥から奈良時代に見られる頭部の大きな腰を絞ったプロポーションを持ち、台座に666年とおぼしき丙寅年四月の記載があり、「中宮天皇(具体的には誰を指すか不明)」が病気になり、「栢寺(こちらもどの寺か不明)」の知識(信徒)が平癒を誓願して奉った「弥勒菩薩像」であるとのことで、製作時期が明らかな弥勒菩薩として注目され、毎月18日に公開されている重要文化財。
地蔵堂には平安末期の木造地蔵菩薩立像が安置され、こちらも重要文化財。
境内は国の史跡として指定されている。
コロナの最中、21/01/18、参拝し、弥勒菩薩像、地蔵菩薩像を拝見させていただいた。
特に弥勒菩薩像は、飛鳥時代の仏像という雰囲気が興味深かった。
藤井寺駅からバスがあるが、歩いて行ける距離。
ただし、交通量がそこそこある狭い未知なので、注意する方が良いだろう。
野中寺は、何度も訪れますが桜の季節に来ると建物とマッチして趣があり歴史を感じさせます。
(上の太子)叡福寺 (下の太子)大聖将軍寺と呼ばれ野中寺は、(中の太子)と呼ばれています。
ー 中ノ太子 ー上ノ太子、下ノ太子があるからってそんな都合よく中ノ太子なんてある訳ないだろ、と思っている貴方。
聖徳太子は裏切りません、有るんです中ノ太子が。
羽曳野市にある野中寺(ヤチュウジと読みます) は聖徳太子建立48寺院の一つとされ、廟所のある叡福寺、戦勝記念の大聖勝軍寺と共に三太子の一つに数えられています。
野中寺(ヤチュウジ)は、聖徳太子が建立した寺院のひとつで、叡福寺を「上の太子」、八尾市の大聖将軍寺を「下の太子」と呼ぶのに対し、野中寺は「中の太子」と呼ばれています。
本寺は丹比郡野中郷を本拠としていた渡来系氏族の船氏の氏寺ではないかと言われています。
飛鳥時代の伽藍跡が残り、歴史や博物館では名前を目にすることのある由緒ある寺ですが、南北朝時代などの戦乱で荒れたこともあり、いまは歴史を感じさせる建物はありません。
しかしながら、白鳳期の金銅弥勒菩薩半跏思惟像(毎月18日10:00~16:00検定)にその片鱗を残す名刹です。
「やちゅうじ」と読みます。
野中寺は難波から飛鳥に至る竹之内街道にあり、聖徳太子の命により蘇我馬子が建立したとの言い伝えがあります。
藤井寺駅から歩いて20分ほどでした。
「野中寺」という交差点の角にお寺がありますが、現在でもかなり広い敷地です。
お寺は南北朝時代に火事で焼けたとのことですが、かつての建立物の礎石が残り、国の史跡に指定されています。
訪れる人は少なく、しばし歴史の空間に浸ることのできる、静かな空間です。
「のなかでら」ではなく「やちゅうじ」。
聖徳太子ゆかりの河内三太子の一つ中之太子という古刹だけれど、正直なところ一般人がふらっと来てもそれほど見どころがあるわけではない(と思う)。
境内には史跡の解説板があれこれ立ってはいるけれど…足を運ぶなら重要文化財である銅造弥勒菩薩半跏思惟像が御開帳になる毎月十八日を狙いたい、というか、同じ日に葛井寺で国宝の乾漆千手観音坐像が御開帳になるので、ついでに見に行くというのが良いのではないだろうか。
飛鳥時代に創建された野中寺。
御本尊は、薬師如来。
西国薬師四十九霊場 第十四番。
重要文化財の、銅造弥勒菩薩半跏思惟像を拝観させて頂きました。
台座に腰掛け右足先を左大腿部にのせ、右肘をついて右手の指先を軽く右頬に触れている姿は、何を思索されているのだろうと考えてしまうほど見惚れてしまいました。
竹内街道沿いの重点お立ち寄りポイント。
伽藍配置も法隆寺様式の歴史あるお寺。
色んな物を集めすぎでしょうか!
門前に数台停められる駐車場があります。
聖徳太子との縁が深く、三太子の一つで、中之太子と言われています。
かつては、金堂や塔、講堂が回廊でつながれている法隆寺のような伽藍配置の立派な寺院だったようです。
現在も金堂や塔跡として示されています。
また、境内に古墳の石室が置かれるなど、古墳の多いこの地域らしさもあります。
歌舞伎の演目「お染久松」の墓があります。
交通量が多い通りにありますが一歩境内に入ると静寂に包まれ、ゆっくりおまいりができます。
境内に鳥居もありました。
駐車場はお寺手前にあります。
聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる。
高野山真言宗の仏教寺院。
創建は飛鳥時代。
境内庭園のサザンカは樹齢400年以上で、大阪府の天然記念物に指定されている。
渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。
2017年3月に拝観しました。
聖徳太子の命により蘇我馬子が造営したといわれ、中の太子と呼ばれています。
金銅弥勒菩薩像は天智天皇5年の造、地蔵菩薩立像は一木造りで鎌倉時代初期の作だそうです。
高さ18.5cmの銅造弥勒菩薩半跏思惟像がかわいいですよ。
毎月18日に公開されます。
是非ともお立ち寄りを。
河内三太子の一つである野中寺に、お染・久松の墓があるという面白さ。
飛鳥の雰囲気いっぱいの、静寂なお寺で、金堂跡、塔跡に緑が広がり、綺麗です。
私は、特に塔跡が気持ち良いとかんじます☆観音堂、大師堂、地蔵堂、などが現存しています。
本堂のご本尊はお薬師さまのようで、弥勒菩薩半跏思惟像もあるそうですが、公開されていないので、拝見できないのが残念で、星4つです。
右奥に寺務所が有り、朱印など頂けます♪
名前 |
野中寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-953-2248 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
西国薬師49霊場14番札所。
境内は広く静かです。
藤井寺駅から約5分バスに乗り野々上バス停で降車です。
寺の前は交通量が多いです。