武田勝頼公の首級が埋葬されています。
ここ法泉寺は足利時代初期に創建され夢窓国師が開山されたと伝わります。
夢窓国師が築庭したと言われる松の木や武田勝頼公の首級が葬られている菩提寺としても有名です。
その標として墓の脇には奈良・吉野山で自生している桜が植えられていますので見つけるのに良い目印となるでしょう。
また境内には経蔵があり、中には鉄眼版の一切経を内蔵しています。
一巡りすれば看読と功徳を約すとされるもので、近年では大変な稀少価値があるとされています。
今年は甲府開府500年を祝し御開帳されたばかりでした。
またの御開帳が待たれる所です。
武田神社からスタートして、レンタルサイクルで甲府五山を中心に巡りました。
武田勝頼公の菩提寺でお墓もあります。
甲府の中心街からも離れており、とても静かでひっそり落ちついた雰囲気です。
御朱印について今は書いていないそうで、作り置きの物をいただきました。
それでもすごく嬉しいです、ありがとうございます。
武田勝頼公菩提寺と書かれているのが、個人的には更に興奮しています。
法泉寺 磐座 金剛福聚巌フクジュイワと呼ばれる山号の由来にもなった金剛智(すぐれた知恵)を授けるお不動様の石仏や庫裏裏には国師お得意の心字池の庭園が残される 1330年に武田信武公の開基, 夢窓国師の高弟であった月舟禅師を招いて創建された臨済宗妙心寺派の寺院で甲府五山に数えられ、山号は金剛福聚山、本尊は弥勒菩薩を祀っています。
フクジュ岩の後ろ墓地内にも磐座らしき巨石があり その上に慈慧観音が立っている伽藍は、本堂をはじめ市の文化財に指定されている鐘楼門1636年建立で唐草模様の印象的な門,経蔵1813年建立、桁行き8.6m,梁間9.43m屋根方行造・桟瓦葺の建物)石造りの井戸などあり 甲府市和田町 日本の古代からの聖地 磐座を集めた mapを各地域で 製作しましたので 皆様で シェア して活用ください。
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甲府五山の一角。
開基夢想疎石、開山武田信勝。
其の為武田信勝の墓所。
また、住職(就任前・現職か不明)が京都より勝頼公の頭部を奪還し、境内へ埋葬した。
目印として、山桜を植えた。
其の為山桜と共に首塚が所在する。
尚この山桜は、付近の植生の山桜ではない。
畿内の山桜である。
(境内案内より。
原文では無い)山門は江戸期、鐘は廃仏毀釈の為、明治期の物。
甲府五山の一角。
開基夢想疎石、開山武田信勝。
其の為武田信勝の墓所。
また、住職(就任前・現職か不明)が京都より勝頼公の頭部を奪還し、境内へ埋葬した。
目印として、山桜を植えた。
其の為山桜と共に首塚が所在する。
尚付近の植生も山桜ではない。
畿内の山桜である。
(境内案内より。
原文では無い)山門は江戸期、鐘は廃仏毀釈の為、明治期の物。
名前 |
法泉寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-252-6128 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
武田勝頼公の首級が埋葬されています。
胴体は北条夫人、嫡男・信勝公と共に景徳院近くの没頭地蔵尊に埋葬されましたが、首級は京都の六条河原でさらし首となりました。
戦国の習いとはいえ、それをかわいそうに思った法泉寺の快岳禅師が持ち帰り埋葬をして、同じく京都から持ち帰った桜の木を植えました。
よって今もそこに立つ桜の木は、甲府近辺で咲く桜とは少し種類が異なるそうです。
京都から首級を持ち帰った当初は法泉寺はまだ織田軍の駐屯地となっていたため大っぴらには埋葬できず、織田軍が引き払った後にようやく埋葬できたとの逸話が残っています。
また、武田家中興の祖と言われる信武公のお墓もあります。
信武公の生年ははっきりしませんが、足利尊氏公の姪を娶ったとのことなので、室町幕府内でもそれなりの地位だったのではないでしょうか?広い庭もとても綺麗に整備されており、静かにお参りすることができました。