河川改修で移転して残ったしなやかな神社。
ちょっと見つけるのが難しいかも…でも立派な神社です。
安威川ウォーキングの途中でよく寄ります。
コロナ終息を願ってお参りします。
本来のご祭神は「大中津日子命(オオナカツヒコノミコト)でしょう✨須佐之男命と天児屋根命とするのは信長の焼き討ち逃れ⛩️ただし、大中津日子命のご神体が行方不明とは😨
特に何もなかった。
50年以上前に、東中に通っていた時、たまに帰宅途上に何気なくたむろしてたわいもない話をしていました。
私は歳をとっていく中、神社は変わらない。
静かでいい散歩ポイント。
織田信長の焼き討ちから逃れるため祭神を牛頭天王と春日神にして、河川改修で移転して残ったしなやかな神社。
茨木神社でも信長の話しがあり、影響の大きさを感じます。
本殿以外は何もないですが、静かでお参りがしやすいです。
駐車場は有りません。
近くにコインパーキング等もなく、参詣できませんでしたが、鬱蒼とした木々が茂る神社でした。
次回は、歩いて訪問したいと思います。
存在感が薄い為、近所の方が参拝する程度みたいです。
駅の近くなんですがけっこう大きな神社でした。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「摂津国島下郡 牟礼神社」と記載され、式内社に列している。
『古事記』垂仁天皇の段に「御子大中津日子命者牟礼之別祖也」とあり、元は牟礼豪族の祖・大中津日子命(おおなかつひこのみこと)を祀っていたという説がある[1]。
しかしながら織田信長の社寺焼き払いを免れるため、祭神を信長の敬う牛頭天王と春日神であると偽ったのがそのままとなったという。
元々は今の中津町あたりの旧牟禮部落の東方にありました宝永元年(1704年)、牟礼集落より中村集落に返された。
明治5年(1872年)、近代社格制度において村社に列した。
昭和14年(1939年)、安威川の改修で現在地に移転。
昭和15年(1940年)、慶長11年(1606年)に片桐且元の建築した生國魂神社の末社・北向八幡宮の建物を譲り受け、社殿とした。
昭和54年(1979年)には本殿が修復された。
名前 |
牟禮神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-622-2346 |
住所 |
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関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai2shibu/ibaraki-city/02023murejinja.html |
評価 |
4.0 |
落ちついて参拝できました。
こここの境内は、とても静かです。