西曲輪の桝形虎口が南北に残っています。
武田氏館跡(躑躅が崎館) / / / .
武田信玄(晴信)のパパ 武田信虎が築城したお館です。
『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』という有名な言葉があります。
晴信は城を持たないというイメージがありますが、躑躅ヶ崎館は割と立派な城です。
幅広で深い堀で囲われており、各出入口には土塁と石垣で囲われた枡形空間が存在します。
複数の郭に分かれており、それぞれが強固なつくりをしているように窺えます。
また、北の山上には晴信が生まれたとされる要害山城があります。
綺麗に整備されていてとても見学しやすいと思います。
現在、跡地は武田神社となっており武田氏が祀られています。
この後はもちろん要害山城に行ってきました(^_^)
武田三代の本城として、堅牢な造りであることがよく解りました。
神社の参拝ついでに曲輪や石垣も見学されることをオススメします。
北側は今後も発掘が進められるようなので、新しい発見があったらまた訪問するでしょう。
本殿の隣にある宝物殿は有料ですが、見応えのある展示物か多数でした。
武田信虎が石和から本拠を移し、信虎、信玄、勝頼の3代が拠点としました。
甲府駅から北に車で5分程度の場所で周辺には武田信玄の有力武将のかつての館跡が案内板で紹介されており、かつての街並みが想像できます。
足利氏館を参考に作られたということで、中世の館という趣の平城ですが、西曲輪に大手東側武田氏特有の枡形虎口や、大手東側には土塁と堀が復元されています。
また主郭や西の丸を囲む水堀の規模も大きく、城の背後には詰めの城の要害山城もあり、「人は城、人は石垣…」で有名な信玄ですが実際にはしっかりと有事の防御機能も備えていたことがわかります。
付近には信玄ミュージアムもあり武田氏の歴史が学べます。
武田信玄や武田家ゆかりの神社です。
甲府駅からは徒歩で20〜30分くらいかかります。
しかも緩やかではありますが、ずっと坂を登っていくので、自信のない方は、武田神社へ行くバスやタクシーを利用すると良いと思います。
無料駐車場が有りますので、クルマでも便利です。
神社はそれほど広くないですが、木々に囲まれた静かな神社で、趣があります。
武田信玄縁とはいえ、武田信玄に関するものや、武田信玄らしい展示があるわけではありません。
神社のそばにある武田氏館跡歴史館信玄ミュージアムの方に、武田氏館跡に発掘された品々や武田氏について解説されています。
日本百名城の24番躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)甲斐国守護、武田氏館であり戦国大名武田信玄の領国経営の中心だった場所。
背後の山には詰城として要害山城が備わっている。
遺構として土塁、堀、石垣、虎口など。
現在は武田神社がある場所で、お正月には初詣の参拝客で周囲は車で凄い渋滞になるのでご注意。
城跡として観光にゆくならば、その時期は外した方が良いと思う。
尚、お正月でもスタンプはちゃんと押せました。
『中世の平城』って結構珍しい気がする。
後詰の要害山城があったから成立していたのかも知らない。
いずれにせよ、武田治世下において、この館が敵に攻められたことが無いため、どこまで防御出来たのかは分からない。
正直、あまり防御力はない気がする。
武田滅亡以降に拡張されたものの、甲府城が建てられて廃城。
甲府の街の中心は南下した。
結果として躑躅ヶ崎館は中世の構造を今に残すものとなった。
因みに躑躅ヶ崎とは、城の東側にある山波の飛び出た部分を指すらしい。
2018/2/25ここは何といっても土塁が素晴らしい。
社殿や水堀も当然いいのだが、是非とも土塁に注目して訪れることを提案する。
また、神社裏側には畑との間に深く広い空堀があり、これも是非とも見てほしい。
言わずと知れた武田三代の居館。
現在は武田神社となっている。
甲府駅から北上して正面にあたる神社の南側は、石垣や堀などが綺麗に整備されている。
かつての遺構を見たい場合は、東西南の端まで行くと良い。
個人的には甲府駅からタクシーで往復してしまったため、道中に点在する一族や家臣の屋敷跡の看板や説明を読めなかったのが悔やまれる。
信玄からの武田の主城(館)です一度も攻め込まれた事は無かった城です、武田滅亡後も利用されていたので戦国期の遺構はかなり少なくなっていますね城攻め衆は館(神社)よりも外周をメインに歩き廻りましょう何よりまず歴史館で予習です、無料のゾーンだけで充分かな、そして縄張り図を手に入れて登城開始です私のオススメルートはまずは正面の鳥居から入場して江戸期のキレイな石垣を見ながら館(神社)と周りを見て参拝しましょうそして右側の大手曲輪を目指して歩きます、深い堀を見たら正面に復元中の大手馬出、そのまま大手曲輪を進み微かに残った外堀を眺め段曲輪や土塁を歩きまわります大手馬出まで戻ったら外周を反時計回りに歩きましょう、堀が段々深くなっていきます、主郭北の枡形虎口は無くなっていますね、公園になっている御隠居曲輪を抜け小さな曲輪を歩くと三つの石碑、何だろう?段曲輪らしき石垣も見れます、その先右側の味噌曲輪は発掘調査中でブルーシートが掛かっています、良い発見を期待していますこの辺りは主郭の堀が最も深く下部には土留めの石積みが見れますそして一番の見どころと思える西曲輪の北側の土橋と枡形虎口を抜けて再入場します西曲輪には土塁や石碑がありますが歴史感はあまり無いかなそのまま南の枡形虎口から外に出ます、道路を少し右に歩きキレイな水堀と小さな馬出跡を見て駐車場に戻ります、お疲れ様でした写真は4月中旬です戦う城が好きな私にはチョット物足りなかったかな私のスマホだけなのか写真へのコメントが出来なくなってます時系列にはなっているので勘弁して下さい。
武田氏三代にわたる居城。
城というよりはまさに館跡。
正面入口には立派な石垣がそびえるが後世江戸時代に作られたようです。
人は石垣、人は城。
本当に信玄は城を🏯築かなかったんですな。
勢いのあるときは攻めの姿勢でそれもありかな?
かつて武田信玄がいたという、歴史的な場所ですよね。
宝物殿には貴重な旗なども展示されています。
無料駐車場もあるので、車で行っても安心ですね。
我が家にとって最高のパワースポット!、です。
来月高校受験の娘の合格祈願を兼ねて、行かせて頂きました。
このコロナ禍の事も有り、お賽銭と合格祈願、御守りとおみくじの購入を済ませ、帰宅致しました。
御先祖様が、武田家に縁のあるお方ということも有りますので、尚更落ち着いた感じになれる場所です。
丁度、七五三の時期に重なってしまったので、大変混雑していました。
武田氏の館跡というだけあって、能楽堂まで備わった結構な規模の神社です。
有料ですが、宝物殿などもあり、文化財の見学もできます。
時間の都合で長居は出来なかったのですが、見所のある神社だと思います。
武田3代の居城躑躅ヶ崎館跡にあるのが武田神社。
甲府の代表的な場所です。
まわりには館跡の遺跡が所々に有ります。
参拝だけでなく散策してみてはいかがでしょうか。
武田信玄の見た甲府の風景が見れますよ!
武田氏の館跡に1900年代に作られた武田神社の境内には、信玄公が使ったと言われる井戸がある。
また、宝物館には甲冑などが展示されている。
西の曲輪跡には堀、土塁、馬だしと升形が残っていて、石垣もみられる。
現在の甲府駅方面に向かってはなだらかな下り坂で、そこに家来の屋敷があった。
2019年5月2日。
戦国最強の武将 武田信玄の居城。
人は石垣、人は城と言われる通り、石造りの天守や曲輪等、派手さははないが、凛とした、もののふの館を思わせる。
出口辺りで、観光客に説明する為に待っているかの様な、地元のお爺さんがいて、関西から来たと言うと、堀や石垣について、いろいろ親切に説明してくださった。
お礼を言って去ると、また、次の観光客を見付けて説明されていた。
ボランティアガイドでもない、地元のお爺さんとのふれあいに心温まる。
明治期に新渡戸稲造によって書かれた武士道は、江戸時代を生きた侍の道。
その江戸の侍が手本とした もののふ道こそ、この旅の始め、わっぱ飯を頬張りながら目にした甲陽軍観に記されている。
穴山梅雪の館跡が資料館となり、山本勘助の館も近年発掘されたとか。
まだまだ発掘中のこの城に私達の感想は星5つです。
武田信虎が石和から移って館を構えたのが躑躅ヶ崎館。
戦国時代、信虎、信玄、勝頼3代の60年余りにわたって居を構えた場所です。
翌年には籠城するための詰城、要害山城を築きました。
現在、館は残っていませんが、跡地には武田神社が建立されており、武田氏館跡として国史跡に指定されています。
躑躅ヶ崎館は、日本100名城にも選ばれています。
遺構の石垣や濠、井戸などを見る事ができます。
日本100名城スタンプはご朱印のところにありました。
武田信虎こら三代。
しいら三郎義光の流れをでも一度源頼朝に粛清される。
風林火山が有名ですが、順番は忘れましたが人は城、人は石垣、人は堀情けは味方仇は敵なりも有名です。
駐車場も無料で、入口付近まで行けるのは嬉しいです。
駐車場から管内、とても綺麗に整備されていて、由緒ある場所なのが伝わります。
また、敷地内に有料(大人300円)ですが展示物を見られる施設もあり、ゆっくりと観覧できます。
いつでも、綺麗です。
おすすめは、冬です(^-^ゞ隣にある宝物館もとっても素敵ですよ👍(前に行ったら白鳥がいましたよ😃)とにかく、行ってみて下さい。
まだまだ発掘途上のようですが遺構がはっきりと残っている部分も多く興味深かったです。
立派なお堀は勿論のこと、北側にある虎口も綺麗な形でした。
広々とした郭もあり往時を想像するに必要十分な遺構が残っております。
東側には再現されたきれいな公園がありソコも見所です。
甲斐武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の拠点として栄えた城館跡。
意外に堅固な水堀と複数の曲輪によって構成。
勝頼末期に新府城への移転を図るが…
名前 |
武田氏館跡(躑躅が崎館) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-252-2609 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
人は城 人は石垣‥天守閣を作らずここを居城とした武田氏。
現在は武田神社が建っているが(東西南北が分からないので)本殿の左手に歩いていくと 土塁跡や空堀、少しばかり石垣も残り 緑の多い杜は続いていく。
地元の方が犬を散歩させている姿をよく見かけたが、時間があれば一緒に一周りしたかったなぁ〜