道祖神の神社って珍しいと思いました。
佐倍乃神社(正一位笠島道祖神社) / / .
名取市愛島(めでしま)に鎮座する佐倍乃神社です。
「さえの」とは塞ノ神の事です。
平安時代に藤原実方中将朝臣に祟りを起こしたという謂れがあります。
扁額は鳥居も拝殿も「正一位道祖神」
参拝客でごった返す訳でもなく、派手さや華美さはないけれど、ずっとこの場所にあり続け、この土地に住む方や、お参りに来られる方々が、ずっと大切にしてこられた神社だと感じるところです。
2023年1月に訪れました。
何の予定もなくドライブの途中に、吸い寄せられるように到着していました。
真冬でも苔むした石畳を進むと、左右に大臣が鎮る門をくぐります。
門の境内側には舞台らしき部分があります。
神事で何か奉納されるのでしょうか。
社務所(庫裡?)には人の気配がありましたが、何とも物静かな境内でした。
細道を進んだ先にある神社。
狛犬の世代交代?境内は静かな佇まいで落ち着きます。
道祖神の神社って珍しいと思いました。
歴史のある立派な神社でした。
4.9.23鳥居の向かいには竹林があり、進んでいくと600m位で行き止まりになる。
その途中に笠島廃寺跡の史跡看板がある。
畑と竹林がの中を歩くのは意外と気持ちよかった。
神社は静かで昔からの狛犬と新しめの狛犬に守られている。
神社は古いながら綺麗に保存されている。
駐車場は3台分あるかな。
晴れの日にまた来たい。
猿田彦大神と天細女命をお祀りしている神社です。
歴史も古く日本武尊、東征の時代から祭祀を行い現在に続いています。
歴代伊達家からの信仰も厚かったようです。
近くの道路を通る度に、「道祖神社」の標識が気にはなっていた。
道路が狭そうだが、思い切って入ってみた。
3〜4台の駐車スペース。
創建景行天皇40年。
西暦になおすと110年。
ヤマトタケル東征の折勧請された、との事。
なんと約2000年前。
凄いですねえ。
厳かな雰囲気のある味わい深い神社でした。
駐車場に軽トラなど車が10台くらい停められいて、何か行事かな?と期待しながら鳥居から入ると、社務所の中で地元の人たちが大きな注連縄を作っていた。
由緒ある立派な神社。
正一位の官位が与えられている。
鳥居のそばに銀杏の樹が聳えていて、銀杏の実を拾って行く人を見掛けた事がある。
道路から少し奥に入ったところにひっそりとあります。
とてもいい感じです。
秋なので、栗や銀杏が落ちてました。
強くたくましく、懐の広さを感じる神社です。
近所なのに今まで行った事がありませんでした。
歴史もあり、鳥居も社殿も立派だと思います。
中々のパワースポットだと思う。
本殿?拝殿?の配置?とかからオーラを感じた。
鳥居を潜った瞬間からいにしえの時代にタイムスリップしたような感覚になりました。
とても静かな所です。
すく近くに道路有るとは思えない。
サルタヒコの奥さんの、アメノウヅメノミコトを、奉った神社です。
サルタヒコも奉って、有ります。
鳥居から下に降りて眺めると、御利益が有りそうなおごそかな気持ちに感じられます。
正一位の道祖神様の案内板を見つけ、立ち寄らせて戴きました。
自然の中にひっそりと。
寂しさを感じたので一人でのお詣りは躊躇します。
次は、御朱印帳を持参してお詣りさせて頂きます✨
細い道を入った先にある神社です。
住宅街にあるわりに、とても静かに参拝できました。
社務所脇にある呼び鈴を押して、御朱印の対応していただきました。
書き置きでしたが、日付書き入れてもらえました。
和紙で包んでいただき拝受。
病気が少しでもよくなるようにお願いをして来ました。
(^o^;)
通りがかりで気になって寄った神社。
奥の細道 第15の段 「笠島」道祖神を祀った神社です。
この道祖神は強力な妖力を有していてそれを抑えるために神社になったのかもしれません。
この妖力は、歌人、右近衛中将、続き左近衛中将、かつ清少納言と恋愛関係にあった藤原実方の命を奪うことになります。
(詳細は郡山市の安積山公園で口コミをしていますので興味のある方はご覧下さい)奥の細道の第13の段「安積山・信夫の里」に登場する「かつみ」はこの藤原実方に拠るものです。
”奥の細道”を示唆する”鐙摺(あぶみづり)”で始まるこの段は、かなり重要な段であるように思います。
そして、第1の段「漂泊の思い」にあった「道祖神のまねきにあひて…」を思い出します。
この段の解釈は子の方角半里先にある実方の墓に譲ります。
余談ですが、手前も平将門の手が祀られている神社(栃木県足利市大手神社)を参拝しようとしたとき、途上の踏切で突然エンジンストールが起き、参拝を断念した経緯があり、この類いの話はあまり疑念を抱きません。
この投稿のため、実方と清少納言の馴れ初めを調べていますと、長年抱いていました謎を解く仮説が浮かびました。
奥の細道 第4の段「室の八島」(栃木市)は、最初の枕歌の地で、ここでは《煙に関する歌を詠む事が習わし》で、芭蕉は名句を詠んでいますが、なぜか奥の細道には記載がありません。
仮説の結論から申しますと敬愛する歌人藤原実方の敬意から敢えてこの句を伏せた、例えるならば「人柱」のような意味合いがあったように仮説を建てました。
さらに言えば松島の句においても同様な意図が感じられます。
実方は「室の八島」で恋愛の歌を詠んでいます。
いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島のけぶりならではさらに、実方と清少納言のやりとりで以下の歌が残されています。
実方:忘れずよまた忘れずよ瓦屋の下たくけぶり下むせびつつ清少納言:葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ芭蕉が「室の八島」で詠んだ句は「糸遊(ゆう)うに結びつきたるけぶり哉」です。
この句には当地(栃木市惣社)に伝わる物語を題材にしています。
物語は村の地主の娘が国司と婚約が決まっていましたが、地主も娘も本意ではなく、折しも旅に訪れた者と恋に落ちて駆け落ちします。
この駆け落ちを村ぐるみで援助します。
娘は死んだとして、焼くと人を焼いた匂いと似る”このしろ”を棺桶に詰めて焼いたということです。
それ以降発覚を恐れて、この村で”このしろ”を食べる(焼く)ことを禁じたそうです。
(ちなみに栃木市惣社に住む方から聞いたのですが、この風習は現在は残っていないとのことです)句の手前訳は「他郷に向かう地主の娘の細い道(運命)をここから出た煙が取り持っているのですね」高校の試験形式ではこんな訳は赤点ですね。
芭蕉の敬愛する実方は清少納言と結ばれなかったことと、実方の「室の八島」の歌を超える事ができなかったことが、最初の歌枕の地で句を載せなかったものと考察します。
清少納言は実方の死後、都に実方の亡霊が現れる噂が立ちますが、気味が悪いと一蹴します。
流石は簾を掲げて雪が見られる女性です。
同じ時代に支持された女性でも100年に一度の災害予防に予算が出せない方とは雲泥の差です。
当時の人はそう選択したのですが、引き換えにした代償はあまりにも大き過ぎた。
それはさておき、思い出はお小言いいませんし、お金掛かりませんし、歳も取りませんので、いつも綺麗なままですけれど、実体のないものですから張り合いがないですね。
自分の気持ちに正直なのは好感を持てますし、手前も然うしてきました。
安積山の段で「菖蒲は清少納言を指しているのでは?」と予想しましたが、強ち的外れではなかったのかもしれません。
余談ですが、安積山の段で邦題「星の王子様」を引用して読み返しましたところ、長年「羊の絵を求められてなぜ、蛇の絵を描いたのか」疑問でしたが、その答えの仮説を導くことができました。
反響があったら寄居PA当たりに投稿したいと思います。
こちらは、神社の位では、1番上位の、「正一位(しょういちい)」の神社です(^^)佐倍乃(さえの)神社とありますが、道祖神社(どうそじんじゃ)と呼ぶ方がしっくりくるのは私だけでしょうか??サルタヒコノカミ、アメノウズメノミコト、がお祀りされております(^^)道の神さま、サルタヒコノカミ。
道は、歩くものでもありますが、人生も道であると思います。
人生の岐路に立っている時や、道の選択に迷いのある時など、きっとご利益があると思います(^^)社務所のお守りを売っているところに布が被せてあり、一見、誰もいない様にみえますが、呼び鈴を押すと出てきてくれました(^^)気が引けても、是非お声がけして、お守りなどお受け下さい(^^)被せてあった布を取ってもらうと、日焼けしたお守りが、一個ずつぐらいしか並んでいませんでした…が、「見本」で、新しいものを別に出して下さいます(^^)サルタヒコノカミとアメノウズメノミコトは、ご夫婦です(^^)夫婦円満のお参りも良いし、今回、私は家族で訪れました。
夫は、軌道に乗りかけている人気商売のお参りのため、アメノウズメノミコトへの参拝。
私は、生きていく上での自分の道の再確認として、サルタヒコノカミへの参拝。
アメノウズメノミコトは、アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまった時に、楽しい踊りを踊った神さま。
芸事の神さまとしてもいらっしゃいますね(^^)この度、お守り(1000円)をお受けいたしまたが、良い感じです(^^)分厚いです。
赤と紫がありましたよ。
創建110年 景行天皇(日本武尊の父)代12代天皇が日本武尊(東制)の折り観請して作った神社。
伊達家が守ってきた神社の一つ。
合祀10件の内、もともと尚絅短大一部に高舘城跡近くにあった奥州藤原氏を祀る神社が時間の経過で信仰されなくなり合祇してる。
百合ヶ丘、那智が丘なんて住所にされてるが、奥州藤原氏の別荘(城跡)でもあり、源義経が住んでいた間山の御崎付近を『義経ケ崎』と呼ばれてた。
川狩りなどの記録あるけど廃れて痕跡はこの神社に合祇され風化したこと。
間に合った。
よかった、芭蕉と曽良の二の舞になるとこだった。
ははあ、なるほど「サエの神」か。
道祖神を祀っている猿田彦命が主祭神。
道の辻や入り口に建ってる石碑や「庚申塚」もお仲間かいな。
日が沈んで道がわからなくなる一歩手前で参拝終える。
ひとまず、芭蕉チェイスの旅にピリオド打てた。
ありがたやー✕2m(_ _)m。
☆ 道祖神ってよくわからん。
わからんけど惹かれる。
猿田彦命は瓊瓊杵尊の道案内した功績で名を残すことができた。
鹿島様や陽根も力強いものに何者かを阻んでもらいたくて、祈り願うところから来たのだろう→それにあやかって夫婦和合などペアになってるのも微笑ましい。
道教と古神道と民間宗教が入り交じって今では祠と石碑石仏が残っている。
習俗は殆ど廃れてしまってちょい残念なり。
お堂にこもって月待ちしてみたい二十三夜かな。
名取市の熊野三社と金蛇水神社との中間位にあり、道路から少し入った場所にあります。
道祖神社の通り猿田彦命を主祭神とする神社で、伊達家からの保護も受けていたため、社殿の屋根には伊達家の家紋が輝きます。
境内には複数の境内社があり、式内社の佐具叡や金運にご利益があると言われる大国社が鎮座します。
御朱印は社務所で頂けます。
竹藪の中に笠島廃寺跡あり。
奥の細道、雨が降ったので芭蕉は笠島道祖神社に行かなかった。
その際に詠んだもの。
「笠島はいづこ五月の ぬかり道」
主祭神は猿田彦とアメノウズメ。
名前 |
佐倍乃神社(正一位笠島道祖神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-382-3887 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010301 |
評価 |
4.1 |
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入り口が分かりにくいです。
ナビで行ったのですがグルット遠回りを案内されそうになり手前の社務所の横に駐車しました。
周りには竹林があり静かないいところです。
社務所空いておらず呼び鈴を2度ほどならすと奥から女性の方が来られ書き置きならとおっしゃって御朱印を頂きました。