本丸周辺に明確な遺構が遺っています。
駐車場スペースが2〜3台の車が止めれます。
城跡とは思えないほど地味です。
宮城県伊具郡丸森町渕ノ上地区愛宕山にある丸山館跡です。
丸森城・円森城とも言われる中世〜近代にかけての山城で西郭にある愛宕神社境内には伊達稙宗の墓碑が建立されています。
見晴らしの良いとても素晴らしい城跡だと思います。
曲輪Ⅳ?辺りの脇に駐車場が有ります。
東西に長い連郭式の城跡です。
Ⅱ郭は工事車両が入り整地されています。
お社のある本丸は周囲から切り立っていて、Ⅱ郭加羅は土橋で繋がっています。
西に降りると比較的広い曲輪になり、展望場がありましたが、草木が繁茂し見通しは良くありませんでした。
本丸周辺に明確な遺構が遺っています。
普通車が数台停められる駐車場が有り、見学はしやすいです。
静かな街ですが近くにタピオカのお店があります。
齋理屋敷の隣に店舗構えてます。
2019年10月14日に現地へ。
駐車場から先に徒歩で登ったところ、崖崩れあり。
注意です。
伊達家十四世稙宗が、晩年の17年間隠居生活をしていたのがこの城で、現在も「稙宗之墓」が建っています。
子、晴宗との骨肉の争い「天文の乱」でまさかの敗戦をした稙宗は、福島県桑折西山城に幽閉されましたが、娘を嫁がせた相馬家により助けだされ、世話を受けてこの城で生活していました。
稙宗が78歳で逝去したころには、晴宗により隠居料として与えられていた伊達領地(丸森・金山(大内)・小斎・島田・新地・駒が峰)のすべてが相馬領となっており、それが原因で天正4年から12年にかけて伊達と相馬の争いが金山・小斎を舞台に何度も繰り返されました。
政宗の初陣は天正9年5月(政宗15歳)、この地の戦いであったといわれています。
ここもなにもありませんね。
見ざる聞かざる言わ猿。
伊達稙宗(政宗曽祖父)の隠居城。
墓碑あり。
名前 |
丸山館跡 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.3 |
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20230531訪問、伊達稙宗の隠居城、相馬氏と争いの地、感慨深く見ました。
大ケヤキも圧巻です。
災害の崩れは積みブロックで復旧されていました。