名前 |
安住寺庭園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0002 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
正元元年(1259)鎌倉時代、木付城・城主であった木付親重公の創始により京都・東福寺より聖一国師・円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、安住寺の「開祖」とした。
当時の安住寺は現在地とは別の八坂川を見下ろす崖の上にあり、木付氏の菩提寺として繁栄したが、木付氏の滅亡後、幾度の火災で焼失。
文禄二年(1593)大友氏に殉じて木付氏は亡くなり、寺も極度に衰微した。
しかし松平氏が城主を務めた時代の延宝年間(1673〜81)に現在地に再興した。
現在の本堂は平成5年(1993)に改築されたものである。
安住寺庭園は大正時代の築庭で、本堂・庫裡などの連結した寺の建物にコの字型に囲まれた狭い土地の一番低い場所にひょうたん型を変形させた池をつくり、その中心のくびれ部分に石の反橋を架け、池を東西に二分している。
池の東西南・三方の傾斜地は築山に見立てられている。
明治時代の流行を踏襲した丸石を敷き詰めた「枯流れ」が南の築山の斜面を西の池に下り、さらに西池の西端には鑓水が注ぎ込んでおり西池は川を表し、東池は大海を表していると考えられる。
築山にはツツジや皐月などのタマモノ仕立ての植栽がリズミカルに植栽され、開花すると座敷に置かれた座卓の大きな天板に投影され美しい。
庭園の前景には視界を遮らないように丈の低い雪見灯籠を据え、東の築山の斜面上の客殿の足元には石垣をあしらい山寺を思わせる佇まいとし大型の石灯籠なども据えている。
南の築山上には、後景として紅葉とその後ろに見上げるような針葉樹を立ち並べ視界を遮り、西池の枯流れと重なる南西の軸線から先の築山をなだらかにして奥行きをもたせ視界を誘導して解き放っており、なかなか巧みな構成と言える。
池には鯉が元気に泳ぎ、植栽の手入れも良くなされている。
2018/04/25(平成三十年四月二十五日)