歴史のオーラが感じられる。
徐福祠・徐福大明神(徐福の墓) / / .
宮下文献によるとここが伊勢神宮の発祥の地だそうです地。
大明見小室浅間神社の宮司様からか聞きました。
3つ石碑の名前の中心が読めない。
また、三島大社の恵比寿と邪馬台国の文面もあり何をいみしているのか?大金を払って作っているはずだからなんかの意味がありつくっているはずだ。
明確な入り口があるわけではないし 広いとは言えない住宅街なので 他の方のレビューを参考にするなり(ナビで表示しない住所だったりします) 焦らず気を付けて下さい小高い丘と言うか小山の頂上で 似つかわしく無い立派な石碑があります。
富士山の鬼門のこの一帯は偽書と言われる古文書を筆頭に平家(秦氏)の碑や宗教施設など ある意味歴史・社会的ロマン溢れる場所で 周辺の散策だけで半日は過ごせます。
入り口が分かりにくく我々のために草刈りがされていた為辿り着けた。
天下を統一した秦の始皇帝は次に不老不死を手に入れんと欲した。
水銀入りの強力な滋養強壮剤を飲み続け、不老不死の方法を手に入れるまでの間、出来るだけの長生きを目論んだ。
やがて水銀中毒により四肢が痙攣し、言語(脳)障害を発症した。
北方警護のため長城の建設、自らの墳墓の建設等、民を顧みない強権発動の数々に人心は離れ、治安は乱れに乱れた。
そんな時代の出来事である。
いまよりおよそ2
歴史のオーラが感じられる。
不老不死の薬を探しに行った、徐福の祠です。
この地域では次のような伝説が伝えられています。
(徐福伝説)徐福は紀元前219年秦の始皇帝の命により不老不死の薬を求めて来日した。
富士山の麓でこけももの実を見つけ帰国しようとした時、始皇帝が死去したことを知らされ、がっかりした徐福は400名の家来とともにこの地に住み着き、織物の技術を伝えた。
この技術が今は郡内織りとして定着し、地域を支えている。
また、はまなしの実を食べて長生きした徐福も浮き世の生活に嫌気がさし、鶴の姿になって美しい富士五湖の上を舞い遊んだ。
そのためこの一帯は「都留郡」と呼ばれている。
江戸時代になると、鶴としての生活に飽きた徐福は、福源寺の境内で長かった生涯を閉じたとされており、寺には鶴塚が祀られている。
駐車場はありません。
スペースもありません。
明見(あすみ)湖の駐車場に駐めて歩くしかないです。
グーグルさんの言う通りに行くと民家に入り込んでしまいます。
目指すなら〒403-0018 山梨県富士吉田市向原4丁目7−5または〒403-0018 山梨県富士吉田市向原4丁目9−40と設定してください。
そこからではないと辿りつけません。
前者は本来の参道のようです(山道っぽいほうの写真の右の段差がある通路を上がる)。
後者は明見湖の駐車場からの近道(舗装路がみえる写真、左の未舗装の坂道を上がる)。
ほとんど訪れる人もいないようですので、徐福の旅・人生に思いを馳せるには良いところと思います。
何かしら?親しみを感じる。
名前 |
徐福祠・徐福大明神(徐福の墓) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
始皇帝を騙し不老不死の薬を探しに行った、徐福の祠です。