本殿は修理されてました。
古代は「漢委奴国王」の奴国の領域だった所です。
奴国王 大幡主を表すフクロウと波乗り兎の彫刻が神殿にあります。
息子の豊玉彦を表す鳥の彫刻もあります。
ご祭神は、淀姫命 須佐之男命 大山祇神 神功皇后 武内宿祢とありますが、大幡主、豊玉彦も実際には入っているようです。
主祭神の淀姫命は神功皇后の妹神とありますが、年齢は淀姫の方がかなり上です。
由緒にも以前は姉神と書いてありました。
神功皇后と夫婦であった高良玉垂命が大王なので、年齢に関わらずそういう表現になるそうです。
淀姫は、別名 川上大明神で、佐賀の川上峡にいましたが、兄の熊襲タケルが神功皇后と対立した時に、兄とともに一時的にこちらに来た時があったのでしょう。
それが川上大明神ご鎮座となっていると思います。
異国襲来に備え、神功皇后、武内宿禰とともに伏見の御香宮を合祀して伏見宮になったと書かれていますが、近くに神功皇后を祀る裂田神社があるので、わざわざ京都から勧請する必要があったのか、不思議です。
この神社には京都の伏見稲荷大社の元宮との伝承があります。
淀姫が来る前に、鍛冶神であるお稲荷さんがこちらで活躍し、その後伏見に移動して行ったことになると思います。
ご祭神は、神功皇后、須佐之男神、淀姫命、武内宿禰、大山祇神です。
創建は、不詳ですが、欽明天皇代肥前国與止日女神社より遷座され伏見大明神として祀られました。
淀姫は神功皇后の姉で千珠万珠の玉を求め給う神徳のお姫様で、神功皇后の三韓遠征の折この千珠万珠の玉が戦いの重要な役目を果たしました。
またここには、白い鯰が描かれていますが神功皇后三韓遠征のおり鯰の大群が遠征の船を助けたという、いわれにによるそうです。
毎年7月14日に行われる祇園祭で奉納される「岩戸神楽」は有名です。
御祭神淀姫命 須佐之男命 大山祇神 神功皇后 武内宿祢御祭礼一月一日 歳旦祭(※二月十一日 建国記念祭)(※四月十五日 春祭)七月十四日 祇園祭 須佐之男命祭日 県無形文化岩戸神楽奉納七月三十一日 夏越祭 かやの輪を潜り罪穢を祓い無病息災を祈る(※十月十七日 秋祭) 五穀豊穣を謝し新藁御注縄を捧げる十一月十五日 御火焚祭 淀姫命遷座を願夜火焚祭を行ふ御由緒淀姫命は神功皇后の妹(※訂正跡あり)姫で千珠満珠を求め給う神徳の姫で欽明天皇二十五年十一月朔日佐賀の県に川上大明神として鎮座されたが託(※言偏に巳)宣によって此の地に遷座され後異国襲来にそなえ神功皇后武内宿祢と共に京都伏見御香宮を合祭して伏見大明神と稱す須佐之男命は天正年間秀吉島津征伐の時博多市街兵火に罹り櫛田祇園の社にも兵火及ばんとするや御神体を當社に遷じ奉り博多住民も避難移住してより祇園祭行はる鯰渕社前那珂川の一之堰より上流伏見の渕、鐙の渕(あぶみのふち)、風拜(かざはい)の渕を総称(※)して「鯰渕」と言い「鞍掛鯰」の居る処神功皇后三韓征伐の時背振山に登られ灘の川を渡らせ給ふ時馬の鞍に魚(※)が飛び上り皇后「なまづめ」たいと言はれその魚を鯰と名付け給ふ皇后三韓征伐の舟出で給う時無数の鯰群をして船を抱き水先案内し戰勝されてより神の使とされた。
鯰は平時姿を見せぬが天下変事にはらわれる。
元和元年大阪夏の陣、寛永十四年島原の乱明治二十七年日清戰爭、明治三十七年日露戰爭、大東亜戰爭終戰前皮膚病「なまず」は絵馬を捧げて祈願すれば治った人多し岩戸神楽昭和二十九年十二月十三日 福岡県無形文化財指定あり。
伏見神社鎭座地福岡県筑紫郡那珂川町大字山田拝殿掲示由緒より■■■■■■■■■■■■■■■県指定無形民俗文化財『岩戸神楽』と市指定有形民俗文化財『岩戸神楽古道具一括』岩戸神楽の演目は「神宮(じんぐう)」に始まり、最後の「岩戸」まで全部で十八番あります。
中でも盛り上がりをみせる舞といえば「荒神(あらがみ)」でしょう。
「荒神」に出てくる鬼は、参拝に来た子どもを誰かれなしに抱えて拝殿に入れます。
鬼に抱かれた子どもは病気をせず、丈夫に育つという言い伝えがあるため、毎年七月十四日の祇園祭の夜は子ども連れの参拝者で境内がいっぱいになります。
なお、この神社に残されている古い神楽面は、江戸時代の中期から後期にかけて作られたと思われ、その多くが能面の形式を伝えています。
このように能面系の面を神楽面として多く使った例は珍しく、神楽面の成立を考える上で貴重な資料といえるでしょう。
岩戸神楽の古面細女命 豊姫命思兼命 赤鬼 事代主大神素戔嗚男命 黒鬼 手力男命天兒屋根命 竹内大臣これらの古面と太鼓2点、台座1点、装束箱1点を含む岩戸神楽古道具一括を市の有形民俗文化財に指定しています。
(市指定文化財第4号 平成11年12月20日指定)那珂川市教育委員会境内掲示板■■■■■■■■■■■■■■■■■■村社 伏見神社 筑紫郡岩戸村大字山田字茶屋前祭神 神功皇后、須佐之男神、淀姫命、武内宿禰、大山祇神由緒 社傳欽明天皇の御宇肥前国佐賀郡河上大明神(祭神淀姫也)の託宣に依り此地に鎭祭し後(年代不詳)山代國伏見御香宮(祭神神功皇后也)を勧請合祭し伏見大明神と称し奉れり須佐之男命は天正年中博多市街兵火に罹り櫛田祇園の社にも火災の及はんとするより祇園のご神體(素戔嗚尊也)は当社に遷し奉り(櫛田のご神體は早良郡野芥に遷せりと云う)博多住民も此地に避難移住せり其後博多市街再興のときご神體は当社に鎭祭の儘博多に遷さゝりしと言ふたけう竹内大臣合祭のことは不明なり本社從前は轟ヶ岡(書記神功皇后の巻に爰定神田面佃之時引儺河水云々とある地なりに神幸ありしも今絶えたり、附記筑前国續風土記同附録同拾遺も凡そ同様の記事なり、慶安元年までは社邊なる儺河前岸の地にありしを時の地頭津田市之亟茂貞(筑前國主黒田家の臣也)今の地に社殿を造営し同年八月十六日遷座鎭祭せり。
明治五年十一月三日村社に定めらる祭神大山祇神は字原に無格社神社として祭祀ありしを明治四十二年十一月十五日合併許可。
例祭日 十一月十五日主なる建造物 神殿、渡殿、拝殿、絵馬殿、社務所境内坪数 一千五十六坪氏子区域及戸数 岩戸村大字山田、岩戸村大字井尻、百二十戸■■■■■■■■■■■■■■■※ここはもと「岩戸村」でした。
神功皇后ゆかりの神社⛩️拝殿は新しくなり、本殿は修理されてました。
近くの河の淵に鯰が住んでおり、天変地異が起こると姿を現したそうです( ̄O ̄)駐車場はありませんのでご注意下さい。
毎年7月14日に岩戸神楽が催されます。
伏見宮にも臨時駐車場は準備されますが、伏見宮から北東に400メートル程の裂田溝公園の駐車場が余裕があってお勧めです。
2018年は午後7時から午後10時でした。
過去の神楽はYouTubeで見ることが出来ます。
演目は年によって異なるそうです。
2018年6月の時点ではおみくじは30円でした。
裏に滑り台とブランコがあるので参拝中に子供を待たせておくことが出来ます。
2019年1月、拝殿兼能舞台の建物が建替えられました。
装飾のある組物類は前の部品を大事に使いつつ、大半は新調されました。
特にプラ板の入った戸で囲われたので、雨風の被害を受けにくくなったようです。
名前 |
岩戸伏見神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
092-952-2072 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
佐賀県神社繋がり凄ーい⛩引き寄せ⛩御神楽見に行きたいです。
写真あげてる方、素晴らしい!