戦国の歴史ロマン、長谷堂城跡で!
長谷堂城跡公園の特徴
関ヶ原の戦いを背景に持つ歴史的な公園です。
最上義光や伊達政宗が戦った城跡を散策できます。
駐車場完備で長谷堂観音への参拝にも便利です。
北の関ヶ原、慶長出羽合戦の激戦地跡。
東軍最上方の城将志村伊豆守光安以下1000人が立てこもり、西軍上杉方直江兼続率いる2万の軍勢に徹底抗戦したと伝わる。
山城としての防御遺構がよく残っている。
山頂主郭部は広場となっており東側に山形市街や奥羽山脈が良く望めて素晴らしい。
この長谷堂城跡は「やまがた百名山・城山」としても知られている。
最上三十三観音 長谷堂観音に参拝する際駐車することができます。
駐車場は広く、公衆トイレもあります。
参拝の際は、先にトイレがありませんので済ませてからむかうようにしましょう。
観音堂までの道は一直線に登る感じです。
整備はされていますが、観音口ルートから比べると距離があるように思えます。
急がずにゆっくり登って下さい。
途中には、長谷堂城に纏わる説明プレートなどや案内看板がありますが、観音堂への道しるべが無いので設置して貰いたいです。
次の三河観音に向かうには便利です。
なかなかの山道で油断してた!笑草刈りなど多少手入れされてる感じです。
ハイキングにはちょうどいいかも。
高台なので、景色も良かったです。
戦国末期に起きた「長谷堂城の戦い」の舞台となった城。
関ヶ原の戦いが起きてる時、最上領を攻めてきた上杉の軍勢を食い止めた城です。
志村光安率いる守備兵1000名で上杉軍18000と対峙し、守り抜きました。
大きくない山城ですが、川や深田で周りが囲まれ急峻な切岸や段曲輪を備えています。
公園として整備されていますが、当時の面影もそれなりに残っています。
桜の名所にしようという地元の方々の運動で桜が広く植樹されています。
特に、本丸裏の大きな枝垂れ桜が見事でした♪駐車場はR348に面した公園入り口入った所にあります。
そこから登り口(八幡口)が見えるので、すぐ登れます。
3月はじめで花はまだ咲いておらず、少しさびしい印象です(๑•﹏•)頂上公園は東屋があり、昼食もゆっくりと食べることができました晴れており、山々がはっきりと見えキレイでした。
近くの長谷堂城跡に登るために駐車場を使わせてもらいました。
普通の公園遊具と公衆トイレがあります。
公園そのものはちょっと大きめな普通の公園です。
長谷堂城跡は城山とも呼ばれるとおり、文字通りの山です。
距離は短いですが、怪我をしたり道を見失うと厄介です。
ご注意下さい。
NHK大河ドラマに合わせて整備されました。
前は知る人がくる程度だったので、駐車場も整備されていませんでしたが、今は平日はお昼休憩の車でにぎわっています。
米沢方面から山形に向かう街道(山形南陽線)の出口に立ち塞がる要塞です。
ここを無力化しないと物資の補給や部隊の移動が妨げられ、最上氏の本拠地の山形城攻めが出来ません。
そういう訳で、北の関ヶ原と言われる長谷堂城の戦いには、最上領の制圧を狙う西軍の直江兼続率いる上杉軍約2万、東軍の最上・伊達軍も合わせると3万人近い軍勢がこのド田舎(失礼!)にひしめき合うことになりました。
のどかな田園風景の広がる現在からは想像も付きませんね。
結果は守将の鮭延秀綱が僅か1000人の少数ながら良く善戦して、戦線は膠着状態に。
そのうちに関ヶ原で西軍が敗北して上杉軍のタイムアウトとなり、大軍の側が敗走して行きました。
城の縄張りは特にテクニカルな特徴は無く、見所は上杉軍に見せつける様に山の斜面に設けられた13段の木柵の跡でしょうか、今は何も残っていませんけど。
話は逸れますが、城内を散策中に上からの視線を感じて、ふと見上げると目が合ってしまったんですよ、ニホンカモシカに! 。
本丸方面の斜面からこちらを見て警戒している様子でした。
うーむ山形県侮りがたし。
(笑)
江戸時代、この長谷堂城を中心に八景が選定された。
【長谷堂八景】城山秋月t城跡の名のミゆかしや松の月t以川清源寺晩鐘t大森や若葉をもれて暮のかねt露英龍山青嵐t凩(こがらし)の跡のけしきや瀧のやま 亀友祐善夕照tゆふぜんに染めて夕日の紅葉かなt東籬窪手落雁t峯幾つこへてくぼてに落る雁t京亮四森暮雪t市人の戻りやいつもくれの雪 保清西養寺夜雨t涼しさや是も他力の夜の雨t古人幽人須川帰帆t稲刈や穂にほを積てわたし舟t仝。
素朴な佇まいの史跡です。
掲げられてある解説を読むと、それなりに歴史的価値があるようなので、これから整備されることを期待します。
戦国時代の息吹を感じられる長谷堂城跡の出発地として利用したが、駐車場は十分だし、とても良い公園でした。
最上義光、伊達政宗、上杉景勝、直江兼続等の、超有名武将同士の戦いで有名な、長谷堂城の戦いの舞台となった城跡。
その割に平地にある公園は小さく、25mプールくらいの面積。
車が10台ほど停められる駐車場となっている。
堀跡は辛うじて残っているものの、説明板があるだけで見応えはない。
関西で言うと山崎合戦場と同じくらい寂しい。
50mほど歩くと城跡の山が有り、城跡に登れるようになっている。
私が知らないだけなのかもしれないが、東北の関ヶ原と言われるくらいの有名な戦なので、資料館等で、どう攻めてどう守りどう経過したようなジオラマが有れば良いのになあ。
長谷堂城跡を散策するならばこちらに車を停めると便利です。
歴史の参考になりそうです。
今度は時間を作ってゆっくり行きたい!
城跡とあるけど、八幡崎口と呼ばれた城へ通じる口の跡地を整備した公園です。
ここでは堀がきれいに再現されているようです。
また、ほかの方もふれているように、トイレがキレイ。
駐車場も広いので、休憩にはちょうどいいかもしれません。
ただ、今回こちらへは「北の関ヶ原」と言われた慶長出羽合戦の激戦地のひとつであったこと、戦国時代の歴史上で、何かとマイナーで陰のイメージがある最上義光と家臣たちが奮闘した、その史跡を見に来たのでした。
長谷堂城のほかの口は住宅地に紛れ、車を停めるところはこの公園だけなので、県外から史跡巡りをしに来ても、少々ホスピタリティーには難があるような。
とは言え、町並みは武家屋敷をはじめ平地部分で一気に攻め込ませない作りになっていて、歴史を感じられました。
思いの外良かった!気軽に登山が楽しめる。
短時間で頂上に到着するが、けっこうな急登!兵どもが夢のあと…的な美しさ。
歴史が感じられて展望も良い。
オススメ!
桜がとても綺麗で、古戦場になっており歴史ロマンを感じる。
米沢方面から山形に行く街道(山形南陽線)の出口に立ち塞がる要塞です。
ここを陥落させないと物資の補給や部隊の移動が妨げられ、本拠地の山形城攻めが出来ません。
そういう訳で、北の関ヶ原と言われる長谷堂城の戦いには、最上領の制圧を狙う西軍の直江兼続率いる上杉軍約2万、東軍の最上・伊達軍も合わせると3万人近い軍勢がこのド田舎(失礼!)にひしめき合うことになりました。
のどかな田園風景の広がる現在からは想像も付きませんね。
結果は守将の鮭延秀綱が僅か1000人の少数ながら良く善戦して、戦線は膠着状態に。
そのうちに関ヶ原で西軍が敗北して上杉軍のタイムアウトとなり、大軍の側が敗走して行きました。
城の縄張りは特にテクニカルな特徴は無く、見所は上杉軍に見せつける様に山の斜面に設けられた13段の木柵の跡でしょうか、今は何も残っていませんけど。
話は逸れますが、城内を散策中に上からの視線を感じて、ふと見上げると目が合ってしまったんですよ、ニホンカモシカに! 。
本丸方面の斜面からこちらを見て警戒している様子でした。
うーむ山形県侮りがたし。
(笑)
歴史を感じる。
山登りも辛くない。
名前 |
長谷堂城跡公園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
023-641-1212 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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戦国時代末期、関ヶ原の戦いと同時期の「長谷堂城の戦い」で有名なところです。
2万に近い直江兼続率いる上杉軍を最上方が約1000人で食い止めたのは有名な話です。
「城山」の名で山形百名山に選定されています。
往復30分位で登れる山で、最上三十三観音の長谷堂観音が山頂近くにあります。