というのが最初に見たときの疑問。
北入曽にある七曲井は、すり鉢の形をした古代の井戸で、武蔵野の歌枕として名高い「ほりかねの井」の一つといわれています。
昔は水を確保するのが中々難しかったようで、工夫して井戸を造った跡が残ってます。
しだれ桜の撮影スポット。
わざわざ行く所でもありません。
史跡に興味が有るか無いかで感心度がちがいます。
隣のお堂の山桜が綺麗でした。
井戸を掘る技術が乏しかった昔、崩れやすい最初の数mを露天掘りのようにあらかじめ掘ってから、縦に掘り始めたようだ。
そんな井戸を「まいまいず井戸」と呼ぶそうで、2㎞程離れた堀兼神社や青梅にいくつか残っている。
堀兼神社のモノに比べ大きく原型もよく留めている。
数mしか離れていないところを不老川が流れているのに、なぜこの井戸が必要だったのか不思議だったが、説明版によると冬季は不老川は干上がったとのこと。
すり鉢の底をみると井戸に水が溜まっていた。
幹線道路沿いの神社のすぐ裏側にありました。
わかりにくかったです。
遺跡は、思っていたより大きく深いのでびっくり。
整備されていて、当時の七曲の道のあとが見られて、感動です。
観音堂裏にある、漏斗状の井戸。
平安時代頃の井戸堀工法で、地下水が不老川への流出する前の飲み水として利用するために掘ったようだ。
この近くには堀兼神社の堀兼ね井戸も、同じ形式である。
20年前のカロッツェリアのナビで埼玉のミステリースポットと検索したらここがヒットしました(笑)夜に行ったので当時は何かがどうなのかわかりませんでしたが明るいときに行くと歴史は古いのにあまり実感が湧かないという印象です。
周りの垂れ桜がキレイ!
露天掘りの宝石の鉱山の様に螺旋状に降って行き水を汲む。
県指定史跡なんで川のそばにわざわざ井戸を掘ったのだろうか、というのが最初に見たときの疑問。
たぶん、昔は川の流路が井戸から遠く離れていたのだろうね。
それにしても、出るか出ないか分からない井戸のために大きな穴を掘るぐらいなら、確実に水がある川の上流から用水路を引いた方が水の確保は確実だったのではなかろうか。
実際、野火止用水が江戸時代になると作られるが、それ以前は何十kmも続く用水路を築くという発想が無かったのかもしれない。
歴史のある井戸感があんまり現場から伝わってこない。
この地域の水事情の歴史を考える上で、貴重な史跡です。
歴史的な武蔵野の史跡です。
枕草子にも一首詠まれてます。
『井は堀兼の井。
走井は逢坂なるがをかしき。
山の井。
さしも浅きためしになりはじめけん。
』足を運んで下さい!
垂直に穴を掘る技術のないときは、こんな大規模な掘り方をしたんだ。
昔の漏斗状の井戸史跡、神社に駐車場あり。
横に澄んだ川が流れる。
名前 |
七曲井 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/dentou/siteibunkazai/nanamagari.html |
評価 |
3.6 |
夏は草茫々。
大雨の後だけ水が見える。