フィールドワークで行くものでもないです。
縄文人、弥生人の人骨が発掘された遺跡。
きれいに整備されています。
公園というわけでなく、広場でもなく…案内板があるので親切かなとは思いますが…
旧石器時代からの遺跡だそうだが、避難所としても有効利用されている様です。
何処までの範囲が国指定の遺跡なのかはよくわからないけど、最も広い広場は、イベント時には臨時駐車としても有効活用されていて、地域でも重要な場所の様です。
時代と共に住宅が密集してきて、迷路のようです。
世界遺産含めて整備するには大変ですねぇ。
この国府遺跡は石器時代から連綿と続く珍しい遺跡だが殆ど見るべきものは少ない。
つい見に行くのは「義侠熊日氏之碑」である。
地元の人が礎石の上に作って置いてしまったのだろう。
遺跡とは関係ない人の碑でもそれなりに人望が高かった。
明治?の頃か地元の有力者たちが中心になって柏原ー富田林に鉄道を敷き、河内長野方面に伸展させていた鉄道会社が結局倒産したのだけど、その時熊日氏が従業員に自費で賃金の補填をして、地元から感謝された経緯がある。
また、義侠の名を勘違いして、その筋の人が端っこを削ってお守りにする為、角がボロボロになっている。
真面目に正道を歩んでくれると良いんだけどね。
フィールドワークで行くものでもないです。
普通の狭い草原って感じ。
歴史学に興味があり、以前文献等で調べたことがありましたが、旧石器時代には人が定住し、奈良時代には遣唐使に関係する藤井氏か井上氏の寺院だった可能性が高いです。
もしかするとその間の古墳時代からの寺院かもしれません、このあたりが大和政権化でも集落でしたから。
今から約2万年前の旧石器時代から現代にいたる人々の生活の跡を残す国府遺跡。
(藤井寺市HPより)2万年前というと、氷河期でこのあたりは確か北海道ぐらいの気候だったはず。
そんな時代からこのあたりに人が住んでいたのかと思うと、なんだかすごい。
どんな生活をしていたんだろう。
ちょうど石川と大和川が合流する場所だから、何かと都合がよかったのかもしれない。
旧石器時代以降も縄文、弥生時代の遺跡が出ている。
名前 |
国府遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/spot/1473214270126.html |
評価 |
3.3 |
国府(こう)遺跡。
コロナ禍がなければ、グランドゴルフやゲートボール大会会場にもってこいの場所です。
約2万年前頃から此の一帯に、縄文人や弥生人が居住し共同生活をしていたようです。