この国府遺跡は石器時代から連綿と続く珍しい遺跡だが...
国府(こう)遺跡。
コロナ禍がなければ、グランドゴルフやゲートボール大会会場にもってこいの場所です。
約2万年前頃から此の一帯に、縄文人や弥生人が居住し共同生活をしていたようです。
住宅地のなかの長閑な犬の散歩コース。
縄文人、弥生人の人骨が発掘された遺跡。
きれいに整備されています。
公園というわけでなく、広場でもなく…案内板があるので親切かなとは思いますが…
たぶん近世まで一番河内弁の栄えていたところ。
旧石器時代からの遺跡だそうだが、避難所としても有効利用されている様です。
何処までの範囲が国指定の遺跡なのかはよくわからないけど、最も広い広場は、イベント時には臨時駐車としても有効活用されていて、地域でも重要な場所の様です。
時代と共に住宅が密集してきて、迷路のようです。
世界遺産含めて整備するには大変ですねぇ。
近所の子供達の遊び場になっている様です。
立ち入り禁止にして管理するより、こういう方がいいな。
静かに散策できる場所です👌駐車場が無い❗離れた場所ですが🅿🚗はあります。
小学校時代の友の家の跡地。
50年前の話。
旧石器時代の遺跡です。
名前の示す通り、国府由来の地でもあります。
但し、面積が広い割りには、見るべきものは少ない気がします。
この国府遺跡は石器時代から連綿と続く珍しい遺跡だが殆ど見るべきものは少ない。
つい見に行くのは「義侠熊日氏之碑」である。
地元の人が礎石の上に作って置いてしまったのだろう。
遺跡とは関係ない人の碑でもそれなりに人望が高かった。
明治?の頃か地元の有力者たちが中心になって柏原ー富田林に鉄道を敷き、河内長野方面に伸展させていた鉄道会社が結局倒産したのだけど、その時熊日氏が従業員に自費で賃金の補填をして、地元から感謝された経緯がある。
また、義侠の名を勘違いして、その筋の人が端っこを削ってお守りにする為、角がボロボロになっている。
真面目に正道を歩んでくれると良いんだけどね。
フィールドワークで行くものでもないです。
普通の狭い草原って感じ。
歴史学に興味があり、以前文献等で調べたことがありましたが、旧石器時代には人が定住し、奈良時代には遣唐使に関係する藤井氏か井上氏の寺院だった可能性が高いです。
もしかするとその間の古墳時代からの寺院かもしれません、このあたりが大和政権化でも集落でしたから。
今から約2万年前の旧石器時代から現代にいたる人々の生活の跡を残す国府遺跡。
(藤井寺市HPより)2万年前というと、氷河期でこのあたりは確か北海道ぐらいの気候だったはず。
そんな時代からこのあたりに人が住んでいたのかと思うと、なんだかすごい。
どんな生活をしていたんだろう。
ちょうど石川と大和川が合流する場所だから、何かと都合がよかったのかもしれない。
旧石器時代以降も縄文、弥生時代の遺跡が出ている。
いつも草がぼうぼうであつくるしいです。
草を刈る業者もいい加減で、刈った草をそのままにしています。
世界遺産登録は無理だと思います。
金剛山系の見晴らしは良いが、遺跡としてみるべきものはありません。
整備中かも。
名前 |
国府遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.fujiidera.lg.jp/kanko/spot/1473214270126.html |
評価 |
3.1 |
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河内國国府があった場所。
思いっきり住宅地の中にあり周囲の発掘もままならないでしょう。
大和から流れてきた大和川が平野に出たその場所に存在しています。