大和の輕の堺原の宮においでになつて天下をお治めなさ...
正面の急な階段と向かって右側の緩やかな階段がありました。
輕の堺原の宮跡(牟佐坐神社)オホヤマトネコ彦クニクルの命(孝元天皇)、大和の輕の堺原の宮においでになつて天下をお治めなさいました。
むさにます神社[安康天皇の頃に渡来人「身狭村主青むさのすぐりあお」が雷神を祀ったのが始まりとされます]檜前(ひのくま)に住んだ、身狭(むさ)地域の村主(すぐり)である「青」は学者で、天の寵愛を受けた。
身狭地域には、高句麗系百済人の「史戸(ふみとべ)」の「身狭氏」が定着し、生霊神(いくたまの神)を祀る「牟佐坐(むさにいます)神社」もあり、韓人「大身狭屯倉(おおむさみあけ)」と高麗人「小身狭屯倉(こむさみあけ)」があり、大和中央政権の直接支配下にあった。
@房総風雅史p97
名前 |
牟佐坐神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0744-54-2071 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34152 |
評価 |
3.8 |
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いつも車で横を通るときに気になっていた。
先日、お祭りのようなものをやっていたので寄ってみた。
普通の神社だと思っていたところ、実は、壬申の役に関わる由緒があった。
(以下引用一部改変)『日本書紀』によれば、壬申の乱の際、高市郡大領高市縣主許梅(シャーマンみたいな人)に「高市社に居る事代主神と身狭社に居る生霊神」が神懸りし、「神日本磐余彦天皇の陵に馬及び種々の兵器を奉れ」と言い、そうすれば大海人皇子(後の天武天皇)を守護すると神託した。
その結果、大海人皇子の即位後、身狭坐生霊神に史上初となる神位が授けられている。
(引用終わり)百人一首の絵があるとかなんとか(忘れた)。