木と空のコントラストがいい日でした。
ジュラチャオ様の投稿を拝見致しまして、何か、お気に障ることがあったのかもしれませんが、拙寺は大正12年に27世龍昇晋山以来、今日まで3代に渡り世襲にて法灯を守っておりますが、今に到るまで法人及び住職、その眷属が「脱税」で訴追されたことはありませんので、悪しからず。
「石田三成軍旗塚」として有名。
三成の遺児千代丸が乳母や遺臣と尊鉢村に隠れ住んだと伝えられ、このあたり石田姓が多い。
この寺は釈迦院と共に若王寺の塔頭の一つである。
行基創建。
その後弘法大師が雨宝童子を彫り、本尊としたと伝えられている。
雨宝童子は「融通尊」として「どんな事でも融通して下さる仏様」として信仰されている。
一乗とは「これしかない」という仏の悟りを意味する法華経の教えです。
いつも前を車で通っていてなんとなく新しいお寺なのかなって思っていたんですが・・・すぐ近くの釈迦院と共にあった若王寺(釈迦院のこと)の塔頭の一つです。
若王寺は、応神天皇のお母さん(神功皇后)が朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を献上されて持ち帰りましたが当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、鉢塚古墳に埋められていました。
それから数百年後・・・やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり目が覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。
ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り素晴らしいお寺が建てられたということです。
この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。
一乗院はその塔頭として行基が開きその後814年に弘法大師が留まり、本尊 雨宝童子・春日竜神の像を彫られて祀られたと伝わっていますが現在の研究ではどうも弘法大師の作ではないとされています。
一乗院にある仏像は全て池田市の文化財に指定されています。
仏像の拝観は一定の期間のみ公開となっております。
1573年に織田信長の兵火により焼失1638年に秀英より再興され、1834年には快竜により復興しています。
【本堂】本尊 木造 聖観音立像(藤原時代)脇待 木造 多聞天(毘沙門天)立像 (藤原時代)脇待 木造 春日竜神立像 (室町時代)「融通尊堂」は どんなことでも融通してくださる仏様として多くの方がお参りに来られます。
少し中が見えましたが本当にある意味ちょっと不気味な雰囲気でした。
本尊 木造 雨宝童子立像 (鎌倉時代)そして境内には「石田三成軍旗塚」というのがあります。
関ヶ原の合戦で徳川家康に大敗して捕らえられ1600年に京都で斬首されました。
その三成の側室が生んだ子供「千代丸」が乳母によって軍旗に包まれ尊鉢村まで落ち延びて隠れ住んだそうです。
その後は石田四郎右衞門と名乗り1646年亡くなったようです。
軍旗は今も保存されています。
Namo Shakyamuni BuddhaNamo Amituofo BuddhaNamo Guan Ying BuddhaNamo Maitreya BuddhaNamo Ksitighabanar Buddha
名前 |
一乗院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-761-8918 |
住所 |
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関連サイト |
http://ikedashi-bukkyo.org/ichiran/%E4%B8%80%E4%B9%97%E9%99%A2/ |
評価 |
3.6 |
落ち着いた風情が有り、石田三成軍旗塚等も。
歴史が深い。