探すのに手間取り日が暮れてしまいました。
塚穴古墳(来目皇子埴生崗上墓) / / / .
小雨の中、ウォーキングで来訪しました。
以前来た時より、きれいに整備されています。
到着した時には、雨が上がりました。
やはり、何かある。
古墳だらけの羽曳野で、有名な御陵も多い中で聖徳太子の弟の古墳があるとは知りませんでした。
バス通りから細い通路を入って突き当りの右側にあります。
駐車場はありませんでした。
日本書紀によると、聖徳太子の弟である来目皇子は、九州の筑紫で亡くなったので、土師氏に葬儀を依頼した所、河内埴生岡上に葬ったとされる。
江戸時代に、阿闍梨覚峰が実際に石室内部に入り確認した所、内部は横穴式石室が採用されており石棺があったと記録している。
その事から方墳である事、横穴式石室が採用されている事、等から日本書紀に記載されている記録と埴生岡と言う場所から考えて、来目皇子の墓の可能性は極めて高いと言えるでしょう。
古市古墳群の葬儀社である土師氏に葬儀を依頼した事から、磯長や飛鳥でなく古市古墳群に葬むられたのでしょうか?日本では数少ない被葬者と古墳が一致する一つですね。
探すのに手間取り日が暮れてしまいました。
ナビなどで行くと隣の宗教団体の施設に入れられます。
一度行けば迷うことはないけどなかなかわかりにくい場所です。
車を停めるところもありません。
羽曳野市Webページより「一辺約45mの方墳。
第31代用明天皇の皇子で聖徳太子の弟にあたる来目皇子は推古10年(602年)、新羅攻め将軍に任命されたが、遠征の途中に北九州の基地で病のため没し、のちに河内の埴生山に葬られた。
」故郷を離れて、戦地に向かう途中で死んでしまうなんて、かわいそうですね。
名前 |
塚穴古墳(来目皇子埴生崗上墓) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
塚穴古墳はほぼ間違いなく来目皇子のお墓だと言われている。
王陵の谷ではないが丘陵上にあり方墳で当初は周囲壕で囲われていたようで立派な古墳。