天理市 柳本町 |
ジャンルすべて |
名前 |
黒塚東遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
説明板のみ2023年11月下旬、山の辺の道探訪の際に寄りました。
黒塚古墳がある柳本公園に隣接している障害者ふれあいセンターの植込みに説明板がある程度です。
説明板には——————————————————————黒塚東遺跡(縄文時代~江戸時代)当道跡は、黒塚古墳の東側一帯に広がる縄文時代から江戸時代にかけての複合集落跡です。
1982(昭和57)年のはじめに、天理市サンアビリティー(現在の障害者ふれあいセンター)建設に伴い奈良県立橿原考古学研究所による発掘調査が実施され、縄文時代後期(今から3000年以上前)の土器や古墳時代前期(黒塚古墳のつくられた頃)の溝・土坑、室町時代はじめの掘り割り・溝・井戸、それに近世の柳本藩陣屋の井戸・溝などが見つかっています。
なかでも鎌倉時代から南北朝の争乱の頃(14世紀前後)につくられた掘り割りは、幅4.1m、深さ1.0mの規模をもつ大溝となるだけではなく、敵の侵入を防ぐ役割も併せもつものと考えられました。
この掘り割りからは、土釜や瓦器・土師皿(かわらけ)などの日常雑器類とともに中国から輸入された白磁椀も出土しています。
その後、天理市教育委員会による近隣の発掘調査の際にこの掘り割りの続きが見つかったため、東西幅約45mの規模をもつ方形環屋敷と考えられました。
今後の調査により、さらに遺跡の全体像が明らかになるものと考えられますが、おそらく興福寺大乗院荘園のひとつ、楊本庄の中心となる「柳本庄家屋敷」(『大乗院寺社雑事記』文明7(1475)年記載)の前身であると思われます。
2009(平成21)年3月改訂天理市教育委員会——————————————————————とあり、太古の時代より生活を営んできた場所でした。