小高い場所にあるので、神社からの眺めがとても良いで...
長い階段を登った先にある神社。
本殿は藤堂高虎が建てた最初の上野東照宮を移築したものだとの伝説が伝わっている。
石段の上がると鳥居が見えます。
境内は綺麗。
社殿は歴史を感じさせる造り。
境内社は正一位稲荷大明神と合祀社(榛名神社、古峰神社、御嶽神社、大山阿夫利神社)が祀られてました。
住宅街の中にある階段を登ったところにある神社。
静かでした。
階段を登ったところから見下ろす街並みは美しいです。
赤羽の丘の上にある眺めの良い神社。
静かで趣きあって良いですね。
地元の神社です⛩️初詣はこちらにお参りしてます。
稲付の小径のコースの一部。
野間坂方面から来ると急角度で左に折れなければならないので、気づかない可能性が。
参道の階段は狭いけど雰囲気が良い。
登りきると丸っこくてカッコイイ狛犬さんがお出迎えしてくれます。
境内はそんなに広く無いけど落ち着く心地の良い空間でした。
拝殿も神楽殿もいい感じなんだよなぁ。
力石があるのも珍しい。
眺めもとても良いです。
御朱印は判子ですが、今なら希望すると栄一くんスタンプも押印してもらえます。
力石という昔の力比べに使われた石が置いてあります。
小高い場所にあるので、神社からの眺めがとても良いです。
どんなご利益があるかとか知らないけど、近所にあるので、行ってみました。
階段を登らないといけないので、おばあさんになって足腰が弱ったら、行けなくなりそう。
コロナで失業して、今は生活保護を受けてるので、新しい仕事が見つかるようにお祈りしてきました。
効果あったら、またここに書きます。
空爆の被害を境内に伝える神社であった。
まず,社務所側にある昭和三十五年(1960年)九月健之銘の復興記念碑の裏面に,「終戦五日前の八月十日に爆撃が合って,鳥居・神楽殿・社務所・境内諸施設が壊滅。
また奥殿・拝殿が大破した※」とある。
実際に,社務所前の白い石柱には爆撃痕が見られ,社殿左手には破壊された鳥居が積み上げられており,また社殿右手には全体の八割が吹き飛んだであろう石碑があって,その背面には高速の瓦礫や石礫に抉られたであろう痕が確認できる。
個人的には,白石柱に軽い衝撃を受けた。
炸裂した爆弾が石を抉り,黒い煤けを残している様に見える。
階段を登り切った右手側に小林祖順を顕彰する碑文がある。
明治三十一年(1898年)十月健之銘。
題字揮毫は七十四歳の龍彦なる人であり,撰文は英雄道,謹書は戸田直政。
裏面の有志者連名には女性の名前も見られる。
碑文内容を見るに,小林の存命中に建てられた様である。
以下,大雑把に訳す。
「先生の諱は祖順。
号は大豊。
長野県伊那郡古田村において,農民 小林瀬左衛門の次男として生まれる。
幼くして出家し,諸国行脚の後,江戸駒込吉祥寺の「施檀学林」で修行した。
学徳ともに高く,性格は瀟洒で,みなに慕われたという。
明治二年(1869年)八月に稲付村に来てそのまま留まり,氏子を指導した。
明治七年(1874年)十月に鳳生寺の住職となったのは村民の願う所であった。
明治九年(1876年)八月住職を辞めて,小林小学校を設立し,教育に身を傾けた。
以来,三十年が経って,村で小林先生の指導を受けていない者はいなくなった。
先生は天保七年(1836年)一月二十六日に生まれたと聞く。
老いてなお壮健であり,今も仕事に励んでいる。
有志の者が石碑の建設を計画した。
そして,先生から受けた恩をお返しする気持ちを表して,歌う(以下,漢詩略)※」境内には複数基の力石もあった。
一つに「五十五貫目(約205キロ)」と刻むが,力石は,往々にして「実際に重さを測ってみたら,全然数字が違うじゃないか」ということもあるので,あまり刻字を鵜吞みにできるものではない。
案内板に「小川留五郎」に関する情報がある。
力石に刻まれた人物の来歴がはっきりと分かり,かつ,この様に公に知らされているものは珍しい方である。
明治時代にも力石を持ち上げる風習が続いていたことを示す史料になるかと思われる。
香取神社本殿は北区指定有形文化財。
これを見に来たが,非公開であった。
取り敢えず,調べた情報を載せる。
杮葺三間社流見世棚造。
建築年月日不明(なお,流見世棚造,かつ,田舎神社にあったものではないという二点から,江戸前期頃の建築と推定はできる。
)。
現地案内板には,「……香取神社の本殿は、この近辺に暮らす人びとに、上野東照宮の本殿(内陣)を移築したものだと古くから信じられています……」とあった。
「内陣…?」と思い調べなおしたが,これは神仏が居座る場所,聖域,空間,区画を指す文化財用語であって,本殿の言い換えではないことは明らかであった(『文化財用語辞典』)。
わざわざ括弧書きしているのだから,なんかしらの意図があるのだろう。
※【戦災復興記念碑】「昭和二十年八月十日第二次世界戦争ノ爆撃ニヨリ鳥居神楽殿社務所境内諸施設壊滅及ビ奥殿拝殿大破……」【小林大豊顕彰之碑】「師諱祖順號大豊小林氏信州伊奈郡古田村人父曰瀬左衛門業農師其第二子也幼出家行脚諸州後来江戸修行於駒込㫋檀學林學德倶進性又瀟洒人皆欽慕焉明治二年八月来本村也遂留訓導子第七年十月住職于鳳生寺共村民所懇請也九年八月辭職乃設立小林小學校傾身從事教導自来本村經年三十闔村無不受薫陶者師之生實在天保七年正月廿六日而今猶钁鑠從事焉於是有志者相謀刋石以表彰報恩之微衷銘曰 (漢詩略)」
十条側から見ると右側が香取神社。
神社からは似たような景色が開けています。
狭い住宅地の中に穴場のような良い雰囲気の神社。
階段から雰囲気が伝わってきますね!気が引き締まります。
見晴らし良く、何でも叶えてくれますよ!
赤羽の台地上に建つ神社。
見晴らしも良く、限られた境内ながらも昔ながらの懐かしさといったものが漂っている。
個人的にはこうした雰囲気は大好きだ。
長い階段を上がるか、台地上に沿って裏側から行くかはそれぞれだが、香取神社の案内板を見ると、香取神社本殿は、東叡山寛永寺本堂から移築であるという言い伝えがあるとのこと。
1627年のことだそうです。
これだけ高い位置に位置していることを考えると、地域の人々から尊崇を受け、仕事を終えて家路に向かうときにお社のある山に向かって頭を下げたり手を合わせたり、そんな風景があったのかもしれません。
8月下旬の暑い日に来訪しましたが、とても丁寧にご対応いただきました。
景色も含めてとてもいい神社ですよ。
この神社の境内には人を恐れない野良猫(地域猫)が住み着いていて子猫などは寄って来て遊びを要求する。
猫には子猫が大人の猫になる間に人間でいうところの小中学生にあたる時期がある。
神社境内で、うさん臭そうに私を見つめる大人の猫の間から遊びに寄ってきた猫がいた。
子猫ではないけれど、大人の猫ではない人間の小学生のような猫だった。
しばらく遊んだあと別れるときに塀の脇で見送ってくれた姿を写真に撮り、スプレー画にしました。
赤羽の稲付台地にある稲付香取神社はこの地区の鎮守。
(写真)歴史の古い神社で近くに大きな亀ヶ池があり、崖下を川が流れていた。
その川に稲が流れてきて止まったので稲付と呼ばれているそうだ。
入口には古い狛犬がいるが、どういうわけか「あ・うん」の狛犬のはずが両方とも口が開いており「あ・あ」の狛犬となっているのはなぜか。
(写真)近づいても気にすることもなく猫が日向ぼっこしている。
(写真)そのうちどこからともなく猫が集まってきた。
奥の矢印のところにも猫が出てきて、毛繕いをはじめた。
(写真)この崖下のテラスにもクロブチの猫がねそべっている。
(写真)寝てばかりいるからネコと言うのだろうか。
小さな神社ですが、いつも整頓されていて綺麗です。
初詣に行った時賑わっていて驚きました。
よいお参りができました。
高台の素敵な神社です。
坂の途中にあり、そこからやや急な階段を登ったら現れる神社です。
小さく古びていますが、そこから見る北区の景色や静かなたたずまいにほっと一息させてくれます。
御朱印もいただけますが、留守な事が多いので1回行って貰えたらラッキーでしょう。
私は4回目で貰えました^^
高台にありますが、あまり見晴らしがいいとは言えませんでした。
手水舎も手入れられているとは言い難い上、参拝者などいるわけが無いので節約ということなのか、水は出ていませんでした。
駐車場があります(約3台分)。
社務所で御朱印が頂けます(日付以外はスタンプ)。
手水舎には柄杓がなく、水もなかったです。
力石が置いてありました。
丘の上にある神社です。
なので見晴らしがよく新幹線も見えます。
いわゆる普通の神社ですから特になにもありません。
地元の人が御参りする場所です。
なんだ坂、こんな坂。
最後は階段攻めに会いましたが無事にお参りしました。
猫には餌を与えないで下さい。
名前 |
稲付香取神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3909-7002 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ
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通勤電車の車窓、赤羽駅の西の台地へ続く石段と山門。
気にはなるが降りるとなると、疲れた体は重かった。
近くに行くと、遠目からの印象との合致点がないまま、台地に登る石段に行き当たる。
隣接する寺の山門とのコラボだったかと理解した。