奥上野の徳川家綱の墓所入り口。
鶯谷駅から寛永寺への道すがらにありました。
奥上野の徳川家綱の墓所入り口。
空襲等で、遺構はこの勅額門のみ見ることができる。
墓所も一般公開してほしい…
根本中堂からは徒歩10分ほど、寛永寺霊園の敷地内に、徳川将軍家の霊廟があります。
日光東照宮(栃木)や増上寺(港区)など、霊廟は首都圏各地にありますが、寛永寺の霊廟の大部分は戦火により焼失しています。
立派な門構えです。
厳有院とは4代将軍徳川家綱公の院号である。
厳有院殿霊廟は、1680年に、もと家光の上野霊廟の勅額門であったものを転用したものと考えられている。
国の重要文化財に指定されている。
家綱の父・家光は1651年4月に亡くなった。
遺骸は「死後も東照大権現にお仕えする」の遺言により上野寛永寺に移され、1652年2月から1653年4月の1年2ヶ月という短い期間で日光・輪王寺に大猷院廟が造営され、そこに埋葬された。
厳有院殿霊廟は実質的な上野・寛永寺の最初の将軍霊廟となり、残っていたもと家光の上野霊廟の勅額門を家綱霊廟勅額門に転用したのであろう。
勅額門とは「天皇直筆の額を賜った門」のことだそうです。
国立博物館の裏道にあたる道沿いに所在しているが、柵で囲われ、細部の観察がしにくいのが難点です。
道路沿いに見ることが出来る、徳川四代将軍家綱(1641〜1680年)の霊廟勅額門で、国の重要文化財です。
厳有院とは家綱が亡くなったあとに付けられた院号です。
国立科学博物館の北側で、寛永寺墓所内です。
この説明版によると家綱の父の家光の霊廟の勅願門だったのを転用したとありました。
綺麗で立派な門です。
国立博物館の丁度裏手の通りに面している通りにある重要文化財の門✨✨✨あっさりとしたあまあま立派な門です😊
通りすがりに、重文と書いてあるのに気がつきました。
さり気なく、あります。
上野の博物館裏にある重要文化財が通りすがりから見られます。
名前 |
厳有院霊廟勅額門 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
厳有院霊廟勅額門は徳川4代将軍家綱の霊廟の門。
江戸の鬼門鎮護東叡山寛永寺は戊辰戦争で焼けるまでは上野公園のほぼ全域35万5千坪の寺域を有し山主は法親王(輪王寺宮)が比叡山と日光山を兼ねた。
徳川将軍家の墓は日光と芝増上寺のほか寛永寺には 厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の二霊廟が建てられ、後に厳有院霊廟には浚明院(10代家治)と文恭院(11代家斉)が、常憲院霊廟には有徳院(8代吉宗)と温恭院(13代家定)が追葬された。
霊廟は江戸前期の壮麗な建物であったが権現造の本殿を戦災で失い現在勅額門と水盤舎、奥院の宝塔と唐門が残っている。
昭和32年に修理工事報告書が刊行されているが修理前の門には両袖に二天の像がある。
これはおそらく維新後寛永寺が上野公園用地に接収された際勅額門の前方にあった二天門を廃しその像を付加していたものと思われる。
なお復元工事により取り去られた二天像は現在浅草寺の二天門に移されているようである。