龍馬が行くでよく聞く名前です。
藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑 / / .
藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑所在地 墨田区向島一丁目三番 隅田公園内江戸末期の尊王攘夷論者として知られた水戸藩士 藤田彪(号は東湖)の「和文天祥正氣歌」の刻まれた漢詩碑です。
弘化二年(一八四五)十一月、藤田東湖はこの地にあった小梅の水戸徳川家下屋敷に幽閉されているときに次の詩をつくりました。
「天地正大の気 悴然として神州に鍾まる。
秀でては富士の嶽となり巍々として千秋に聳ゆ‥(下略)」と、五言七十四句の中に天地自然の美しさと日本古来の国体を賛美した内容で、通称「正気の歌」の名で有名です。
中国宋時代の忠臣 文天祥も敵に捕まり、故国を賛美した「正気の歌」を作詞したことから、同じ境遇の東湖は同名の漢詩を作りました。
東湖は文化三年(一八0六)水戸に生まれ、彰考館編修として攘夷論を水戸学としてまとめあげました。
また、徳川斉昭の腹心として藩政改革に活躍したことでも知られています。
安政二年(一八五五)の大地震のときに、五十歳で不運な死を遂げましたが、この漢詩は水戸の尊皇攘夷派のバイブルとなり、さらには幕末の志士たちに大きな影響を与え、明治維新の原動力になったといわれています。
この碑は、昭和十九年(一九四四)六月に東湖会が建立しました。
平成二十年三月 墨田区教育委員会。
藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑所在地 墨田区向島一丁目三番 隅田公園内江戸末期の尊王攘夷論者として知られた水戸藩士 藤田彪(号は東湖)の「和文天祥正氣歌」の刻まれた漢詩碑です。
弘化二年(一八四五)十一月、藤田東湖はこの地にあった小梅の水戸徳川家下屋敷に幽閉されているときに次の詩をつくりました。
「天地正大の気 悴然として神州に鍾まる。
秀でては富士の嶽となり巍々として千秋に聳ゆ‥(下略)」と、五言七十四句の中に天地自然の美しさと日本古来の国体を賛美した内容で、通称「正気の歌」の名で有名です。
中国宋時代の忠臣 文天祥も敵に捕まり、故国を賛美した「正気の歌」を作詞したことから、同じ境遇の東湖は同名の漢詩を作りました。
東湖は文化三年(一八0六)水戸に生まれ、彰考館編修として攘夷論を水戸学としてまとめあげました。
また、徳川斉昭の腹心として藩政改革に活躍したことでも知られています。
安政二年(一八五五)の大地震のときに、五十歳で不運な死を遂げましたが、この漢詩は水戸の尊皇攘夷派のバイブルとなり、さらには幕末の志士たちに大きな影響を与え、明治維新の原動力になったといわれています。
この碑は、昭和十九年(一九四四)六月に東湖会が建立しました。
平成二十年三月 墨田区教育委員会。
名前 |
藤田東湖「天地正大気」の漢詩碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.7 |
龍馬が行くでよく聞く名前です。
思想家で後の維新志士に影響を与えたんですね。
地震で亡くなってたとは。