説明板が新しくなりました!
知りたいことを沢山勉強されてるので、もっと教えてほしくて❗
羽曳野市のHP(ホームページ)によれば、「掘削された時期が古墳時代後期の6世紀後半頃であれば、物資の移送に係わる運河説となり、7世紀であればこの地域を開拓するための灌漑用水路(かんがいようすいろ)(灌漑説)として機能したものと考えられています。
」とのこと。
ん~。
ちょっと納得がいかないなぁ。
ということで、勝手に妄想します。
この水路、最大で幅20m深さ4.4mに及ぶところもあるそうです。
まず、これだけの水路が物資運搬のためだけに利用されなければならない必然性はなく当然、灌漑用にも使われていたと考えるほうが自然です。
となれば、物資運搬用とか灌漑用とか多目的に使われていたのではないでしょうか。
また、「5世紀末~6世紀に作られていた古墳を壊して、大溝が造られていたから、大溝ができたのはそれ以降」という考え方は、わかりやすい説明ですが、これだけの水路なら、時代に合わせて少しずつ延長し、時には、水路の位置を変え、数世紀にわたって、水路の延長、変更が行われていたんではないでしょうか。
ところで、古墳築造ためには、水路を使った物資運搬が必要です。
実際、古市古墳群を見渡しても多くの古墳が川に沿ってつくられています。
ですから、水路工事が開始されたのは、古墳築造が活発になりだした5世紀と考えるほうが納得できます。
掘り出した膨大な土も古墳の築造に使ったに違いありません。
破壊された古墳は、後の時代に水路の延長、付け替え、変更で、古墳がじゃまになったので、削ってしまったのかもしれません。
なぁ~んて、なんの証拠もなく、ただの想像でした。
説明板が新しくなりました!
名前 |
古市大溝 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
私の自宅の裏に面しているので、別これと、思った事がない!