名前 |
天王一石多尊石仏 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
大阪と京都の境、京田辺市の一角に多数の石仏が彫られた古い石碑が3つ残っています。
一つは三十三体の小さな石仏が彫られた江戸時代のもの、あとの2つは十六体の小さな石仏が彫られた室町~桃山時代のものです。
あまり見かけない形状の石碑で、その姿から一石多尊石仏と言うそうです。
さて、この石碑が何の目的で作られたか気になるところです。
三十三体石碑の方は、四国や西国三十三ケ所の観音霊場の観音菩薩をかたどったものですから、三十三ケ所巡礼のご利益があるようにと願ったところでしょう。
十六体石碑は室町~桃山時代の時期に稀に見られるものです。
このような一体ではなく多数の石仏が彫られた作風が当時好まれたのは、経済的に実力を付け結束力を強めた庶民達の台頭が背景にあるようです。
仏師に作成を依頼した誰かは、石仏を作るにしても自分たちの団結を数として、仏像の数にも反映させたい気持ちがあったのでしょう。