名前 |
古平町立古平中学校 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0135-42-2557 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
昭和22年(1947年)に開校した中学校です。
前身は明治36年(1903年)に開設された古平尋常高等小学校で、昭和22年の新学制によって古平中学校となりました。
ちなみに、古平町の最盛期(昭和33年)は人口1万人を超えましたが、町の規模からすると意外なことに、当時でも、中学校はたった2校だけ。
当校と、かつて鉱山にあった稲倉石中学校しか存在しなかったのです。
また、古平中学校は、当初は小学校に並置されていたと記録にあり、小学校と中学校が一緒になっていたとのこと。
まあ、小中学校は、少し田舎の学校には、よくあるパターンです。
ところが、さらに翌年には、余市高校の古平分校までもが、中学校に並置されたのだから驚きました。
小学校と中学校ならばともかく、高校までもが一緒になっていたというのは、かなり珍しい学校形態だと思います。
とはいえ、幾らひとくくりに『学校』であるとしても、世代の異なる3校同時運営は、流石に差し障りが多かったのでしょう。
昭和27年(1952年)6月、新校舎の落成となり、古平中学校は現在地に移転しました。
余談ですが、移転した際、余市高校の古平分校は、古平中学校に並置されたままだったそうです。
つまり、小学校よりも上の学校が『まとめて』分離していったワケで、それはそれで、むっちゃ珍しいパターンと言えるでしょう。
むろん、仮にですが、中学だけが分離して、高校が小学校に併置されて残ったりすると、それもまた、凄い学校になるとは思いますが、、、話が逸れましたが、一貫教育校でもないのに中学と高校が一緒という不思議な形態は、さらに10年ほど続くことになります。
その余市高校古平分校は、同年11月、古平高校として独立(でも名前が変わっただけで併置は以下略)。
昭和38年(1963年)になって、ようやく別の場所に移転、分離独立したそうです。
ただし、高校は分校だった小学校の旧校舎に移転したため、のっけから体育館が無く、5年後の昭和43年10月に完成するまでは、不自由することになった模様。
ただ、これは高校だけに限った話ではなく、新校舎落成なった古平中学校にも、当初は体育館が無かったと史書にあり、体育館が完成したのは移転してから3年後、昭和30年(1955年)12月でした。
そんなのどかな校風でしたが、昭和37年(1962年)には全学年併せて15学級まで増加し、古平中学校は最盛期を迎えます。
しかしその後、生徒数は少しずつ減少していきました。
昭和46年(1971年)、鉱山の人員合理化(というか事実上の閉山)に伴い、稲倉石中学校が古平中学校と統合。
とうとう、古平の中学校は、たった1校だけになってしまいました。
やがて校舎が老朽化したため、平成5年8月(1993年)に建替えられ、現代に至るというのが古平中学校の歴史です。
なお、令和3年(2021年)の記録によると、生徒児童数は47人で、特別支援学級は3人となっていました。